• ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

  • 今月の注目画人
  • 江戸以前の画家
  • 物故日本画家
  • UAG美人画研究室

新着記事

長崎三画人後の三筆、守山湘颿・中村陸舟・伊東深江

2024/12/21  

長崎三画人らによって大成された南画は、その後も門人たちによって引き継がれ、鉄翁祖門に学んだ守山湘颿と中村陸舟、三浦梧門に学んだ伊東深江の三人は、長崎後の三秀とも崎陽後の三筆とも称された。ほかにも、鉄翁 ...

幕末の長崎三画人、鉄翁祖門・木下逸雲・三浦梧門

2021/7/18  

来舶四大家のひとり江稼圃は、文化元年から6年頃まで来日し、弟の江芸閣とともに長崎の南画興隆の基礎をつくった。さらに続いて来日した徐雨亭、王克三らによって長崎の南画は一段と本格的なものになっていった。幕 ...

来舶四大家、伊孚九・張秋谷・費漢源・江稼圃

2021/7/6  

18世紀の後半から19世紀の中頃になると、渡来の途絶えた黄檗僧に代わって清人が盛んに渡来するようになった。彼ら来舶清人によって南画の画風が伝えられると、長崎の画家のみならず、各地の文人たちに注目され、 ...

シーボルトのお抱え絵師・川原慶賀

2021/7/6  

文政6年、オランダ東インド政庁の商館付医師として長崎出島に赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は、日本の門人に西洋医学などを教授するとともに、日本に関する総合的な調査 ...

洋風画にも通じた唐絵目利・石崎融思と長崎の洋風画家

2021/7/6  

長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを判定、さらにその画法を修得することを主な職務とした唐絵目利は、渡辺家、石崎家、広渡家の3家が世襲制でその職務についていた。享保19年には荒木家が加わり4家とな ...

長崎洋風画の先駆者・若杉五十八と荒木如元

2021/7/11  

キリスト教の禁止令とともに、西洋画もその弾圧の対象とされ、さまざまな制約が加えられるようになった。唯一の開港地だった長崎では、西洋や中国の文化が流入する得意な環境のもと、オランダ人やオランダ船などの西 ...

南蘋派の開祖・熊斐と南蘋派の画人

2022/3/4  

南蘋派は、清から渡来した沈南蘋によって伝えられた画風で、緻密な写生と鮮やかな彩色が特徴である。沈南蘋は、享保16年に渡来して18年まで長崎に滞在しており、この間に、中国語の通訳である唐通事をしていた熊 ...

唐絵目利広渡家の画系

2021/7/18  

唐絵目利四家のひとつである広渡家は、武雄鍋島藩で御用絵師をつとめていた初代広渡心海に学んだ広渡一湖(1644-1702)に始まる。一湖は熊本の生まれだが、24歳で長崎に移り住み、心海が一時長崎に滞在し ...

唐絵目利石崎家初代・石崎元徳らを輩出した小原慶山の画系

2021/7/6  

初期の長崎画壇に大きな影響をあたえた小原慶山(不明-1733)は、丹波に生まれ、京都を経て江戸に出て狩野洞雲に学んだ。その後、長崎に移り住み河村若芝に師事した。作品には雪舟派や狩野派の筆致がみられ、唐 ...

長崎唐絵の奇才・河村若芝とその画系

2021/7/6  

渡辺鶴洲と並び、逸然性融門下の双璧と謳われた河村若芝(1630-1707)は、師の奇狂な造形美をさらに増幅させた画風で、長崎唐絵の代表的な奇才と称されている。若芝は、肥前佐賀の豪族の出身で、故あって長 ...

続長崎画人伝を記した鶴洲の高弟・荒木千洲とその画系

2021/7/6  

長崎画人伝によって唐絵目利の画系を後世に残す渡辺鶴洲の仕事は、その高弟である荒木千洲(1807-1876)によって引き継がれた。千洲が編纂した続長崎画人伝では、師の鶴洲およびその系統に属する人々、荒木 ...

長崎画人伝を著した唐絵目利渡辺家七代・渡辺鶴洲

2021/7/8  

唐絵目利渡辺家7代を継いだ渡辺鶴洲(1778-1830)は、長崎画人伝の著者としても知られる。長崎画人伝は、一度途絶えたような形となった渡辺家を継いだ鶴洲が、唐絵目利の中での渡辺家の存在の挽回をはかる ...

唐絵目利の祖・渡辺秀石とその画系

2021/7/6  

唐絵目利とは、長崎の地役人のひとつで、江戸時代唯一の開港地だった長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを鑑定、さらにその画法を習得することを主な業務とした。当初、絵目利と呼ばれていたが、元禄10年に ...

長崎漢画の祖・逸然性融

2021/7/6  

隠元隆琦によって長崎に伝えられた黄檗宗には、黄檗肖像法によって肖像画を描いた喜多氏ら肖像画工のほか、興福寺の僧・逸然性融(1601-1668)を開祖とする漢画(唐絵)のグループがあった。漢画とは、江戸 ...

黄檗肖像画家・喜多元規とその画系

2021/7/6  

17世紀中頃、黄檗宗の僧・隠元隆琦が渡来し、我が国に黄檗宗を伝えると、木庵性稲や即非如一、独立性易ら黄檗僧が続々と渡来し、長崎は黄檗文化の一大中心地となった。中国黄檗僧の渡来によって盛んになった黄檗宗 ...

南蛮美術と長崎の南蛮絵師

2021/7/6  

天文12年、種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲を伝え、続く天文18年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられた。この時に来日したポルトガル人やスペイン人を総称して南蛮 ...

« Prev 1 … 67 68 69 70 71 … 91 Next »




カテゴリー

サイト内検索

関連サイト

湯上がり美術談義
UAG美人画研究室
UAG美術家資料棚

人気記事

  • 田口森蔭とともに二代喜多川歌麿に学んだとされる長嶺清麿14長嶺清麿02
  • 秋田狩野の祖・狩野定信01狩野定信04
  • 近代日本洋画の開拓者・川上冬崖31川上冬崖02
  • 下野国栃木の豪商との親交のなかで肉筆画の代表作「雪月花」を描いた喜多川歌麿11喜多川歌麿02
  • 庄内地方に鳥羽絵風の戯画を数多く残した土屋鴎涯15土屋鴎涯
  • 林十江や立原杏所とともに「水戸の三画人」といわれた水戸藩士・萩谷セン喬12萩谷セン喬02
  • 旧派の重鎮として活躍した佐久間家の末流・佐久間鉄園16佐久間鉄園02
  • 地質学・植物学を導入して描いた高島北海山口12高島北海
  • 雲谷派が祖となった筑後久留米藩御用絵師・三谷家05三谷勝波方信04
  • 福山藩を代表する円山四条派の画人・藤井松林と門人広島06藤井松林

おすすめ記事

1
能登が生んだ桃山時代を代表する画家・長谷川等伯

長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子となった。雪舟系画人の等春に学んだとされる養父・宗 ...

2
奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

3
新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

4
妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

5
室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

  • ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

© 2025 UAG美術家研究所