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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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初期文展で活躍し挿絵や口絵も多く手がけた橋本邦助

2024/12/11  

栃木町(現在の栃木市)の紙類商の家に生まれた橋本邦助(1884-1953)は、17歳で東京美術学校西洋画科選科に入学し黒田清輝に師事した。入学後の成績が優秀だったため1年級終了後4年級に進級し、明治3 ...

青木繁と福田たね

2024/12/11  

明治画壇を駆け抜け、夭折の天才画家とも称される青木繁の生涯と芸術を語るとき、恋人・福田たねの存在を忘れることはできない。ともに重要文化財である青木の代表作「海の幸」も「わだつみのいろこの宮」も、たねと ...

洋画から日本画に転じ脱俗の精神を貫いた小杉放菴

2024/12/11  

日光の神官の子として生まれた小杉放菴(1881-1964)は、15歳の時に中学校を中退し、日光に住んでいた初期洋画家の五百城文哉の内弟子となった。師の文哉は水戸出身で、江戸で高橋由一に学び、晩年は日光 ...

写実性や装飾性を取り入れた異端の南画家・石川寒巌

2021/7/6  

栃木県黒羽町(現在の大田原市)に生まれた石川寒巌(1890-1936)は、早くから文学や美術に興味を持ち、19歳で上京、太平洋画会研究所で油彩画を学ぶとともに、佐竹永邨について南画を学んだ。しかし、念 ...

古典研究とインド体験による独自の仏画を完成させた荒井寛方

2025/3/27  

栃木県氏家町(現在のさくら市)に生まれた荒井寛方(1878-1945)は、明治32年に上京し、浮世絵師・水野年方に入門、歴史画、風俗画を学んだ。同門には鏑木清方、池田輝方、大野静方らがおり、のちに寛方 ...

全国各地を放浪のすえ佐野に定住した南画家・王欽古

2021/7/6  

京都の医師の家に生まれた王欽古(1830-1905)は、小田海僊に師事し、師の画風を受けて南画山水を得意とした。はじめは海雲と号していたが、のちに中国の士大夫をきどって王欽古と号したという。江戸に出て ...

近代歴史画の父・小堀鞆音

2024/12/11  

現在の佐野市に生まれた小堀鞆音(1864-1931)は、20歳頃に上京、土佐派の川崎千虎について歴史画を学んだ。明治25年には岡倉天心を会頭とする日本青年絵画協会に創立会員として参加。明治30年東京美 ...

幕末幻の油絵師・島霞谷

2021/7/6  

「近代洋画の父」と称される高橋由一(1828-1894)は、下野国佐野藩の江戸藩邸に生まれた栃木県ゆかりの画家だが、高橋家は定府だったため江戸住まいで、参勤交代で国元に帰ることもなく、佐野に屋敷はなか ...

幕末明治を生きた俠気の南画家・田崎草雲

2021/7/6  

江戸の足利藩邸に生まれた田崎草雲(1815-1898)は、幼いころから親戚の金井烏洲に画を学び、その後川崎の隠士・加藤梅翁に入門し、四条派のほか和歌や俳句を学んだ。20歳の時に本格的に画を学ぶため足利 ...

喜連川藩御用絵師・牧野牧陵

2021/7/6  

牧野牧陵(1805-1884)は、烏山仲町(現在の那須烏山市)のキザミ煙草屋「馬門屋」の二男として生まれ、26歳の時に絵師を志して喜連川藩御用絵師の津村雨林に師事、喜連川(現在のさくら市)の牧野家の養 ...

文晁門四哲のひとりに数えられた高久靄厓

2021/7/6  

高久靄厓(1796-1843)は、寛政8年、奥州街道筋の杉渡戸(現在の栃木県那須塩原市黒磯)に生まれた。家は貧しかったが、幼いころから画を好み、7、8歳のころに自画自刻したという天神像の板木が伝わって ...

下野国栃木の豪商との親交のなかで肉筆画の代表作「雪月花」を描いた喜多川歌麿

2024/12/11  

美人画の大家として知られる浮世絵師・喜多川歌麿(1753?-1806)の肉筆画の大作「深川の雪」(掲載作品)が、平成24年(2012)2月、60余年ぶりに日本で発見され話題となった。「深川の雪」は、四 ...

下野の南蘋派・宇都宮藩主の戸田忠翰

2021/7/6  

南蘋派の画人として知られる宇都宮藩2代藩主・戸田忠翰(1761-1823)は、江戸に生まれ、38歳で家督を継ぎ、文化6年まで藩主をつとめた。寺社奉行や大阪城代、京都所司代など幕府の要職をつとめた父の忠 ...

谷文晁ら江戸の文人と交流し多彩な画事を展開した小泉斐

2021/7/6  

下野国益子の神官の子として生まれた小泉斐(1770-1854)は、幼いころから画を好み、11歳で茂木に出店していた近江商人の島崎雲圃に入門、雲圃の師である高田敬輔にも師事した。師の雲圃は商売柄、近江と ...

下野に鮎画を中心とした画風を伝えた近江商人・島崎雲圃

2021/7/6  

近江商人のなかには、本格的に画家として活動したものもおり、島崎雲圃(1730-1805)もそのひとりである。雲圃の先々代にあたる初代利兵衛は、近江商人の家に生まれ、商域を関東にも広げるため、元禄16年 ...

狩野派の絵をよくした佐野藩主・堀田正衡

2021/7/6  

下野の佐野藩六代藩主・堀田正敦(1758-1832)は、仙台藩主・伊達宗村の八男として生まれ、近江の堅田藩主・堀田正富の養子となり、天明6年に堅田藩主となった。文政9年に佐野に国替えとなり、以後明治4 ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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