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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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塚本茂ら旧制前橋中学校出身の洋画家

2024/12/11  

旧制前橋中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)からは多くの洋画家が誕生している。横堀角次郎は大正3年に同校を中退して上京、その横堀と親しかった南城一夫も大正7年に卒業して上京しているが、その後、大正8年 ...

東京美術学校在学中に渡仏し12年間滞在した南城一夫

2021/7/5  

前橋に生まれた南城一夫(1900-1986)は、群馬師範学校附属小学校を卒業後、旧制前橋中学校に入学、同期には洋画家の横堀角次郎、詩人の萩原恭次郎、先輩には後に俳優となる河原侃二がいた。大正7年に同中 ...

草土社で岸田劉生と行動をともにした横堀角次郎

2021/7/5  

群馬県勢多郡大胡村(現在の前橋市堀越町)に生まれた横堀角次郎(1897-1978)は、大胡尋常高等小学校を卒業し、旧制前橋中学校(現在の県立前橋高校)に入学した。同中学校の一級上には日本画家の礒部草丘 ...

群馬洋画の先駆者・湯浅一郎

2024/12/14  

明治元年、碓井郡安中町(現在の安中市)に生まれた湯浅一郎(1868-1931)は、父と親交のあった新島襄の同志社英学校普通科に学び、明治21年卒業した。卒業後は、画家を志し、その前年10年間のフランス ...

歴史・風俗を研究し歴史人物画を得意とした北村明道

2021/7/5  

高崎に生まれた北村明道(1896-1962)は、はじめ小堀鞆音に師事して歴史画を学び、のちに蔦谷龍岬の画塾に入り、龍岬没後は児玉希望に師事した。昭和2年の第8回帝展で初入選し、以後帝展、新文展、戦後は ...

群馬美術協会の結成など地元美術振興に尽くした礒部草丘

2021/7/5  

礒部草丘(1897-1967)は、明治30年、群馬県佐波郡宮郷村宮古(現在の伊勢崎市宮古町)に生まれた。明治43年、宮郷小学校を卒業して前橋中学校(現在の前橋高校)に入学。同期には、彫金家の森村酉三、 ...

小室翠雲に学んだ上州の南画家

2021/7/5  

日本南画院の創立に参加するなど南画の普及につとめた小室翠雲は、明治36年、自宅に私塾「環堵画塾」を開設し、門人を集めて南画の技法を教えた。同塾解散後の昭和15年には、新旧門下生を招集して「画は心に印し ...

南画から写実を経て魚類画に新境地を拓いた岸浪百艸居

2021/7/5  

南画家・岸浪柳渓の二男として館林に生まれた岸浪百艸居(1889-1952)は、3歳の時に両親の離婚により父柳渓とともに金沢に移り住んだ。金沢では伯母夫妻に預けられていたが、7歳の時に伯父が没したため父 ...

田崎草雲に学び伝統的南画を描いた岸浪柳渓

2021/7/5  

岸浪柳渓(1855-1935)は、仙台藩士の医師・岩浪広盟(謙輔)の三男として、江戸下谷に生まれた。幼いころ、風疹と麻疹のため聴力を失った。10歳の時から5年間を仙台で過ごし、藩の儒者・大槻磐渓につい ...

日本南画院創立に加わるなど南画復興に尽力した小室翠雲

2021/7/5  

小室翠雲(1874-1945)は、館林町(現在の群馬県館林市)の呉服商の家に生まれた。館林藩御用達商人をつとめていた小室家から分家した父・牧三郎は、風流を好み、文人墨客との交友が多く、足利の田崎草雲に ...

日本画と工芸の両分野で活躍した大出東皐

2021/7/5  

江戸神田に生まれた大出東皐(1841-1905)は、3歳の時に父に従って桐生に移り住んだ。8歳のころから三輪神社小島宮司のもとに通って書法を習い、天満宮神官・前原互瀬について南画の初歩を学んだ。さらに ...

吉川英治に最後の南画人と称された新井洞巌

2021/7/24  

新井洞巌(1866-1948)は、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)の刀研ぎの家に生まれた。はじめ長井雲坪、四谷延陵に学び、19歳の時に伊香保温泉に逗留中の菅原白龍を訪ねて入門を直訴、許可を得て上京し本 ...

農閑期に信州渋温泉に通い児玉果亭に師事した青柳琴僊

2021/7/5  

青柳琴僊(1867-1962)は、月夜野(現在の群馬県利根郡みなかみ町)の農家の長男として生まれた。6歳頃から父について読書、算術を学び、10歳頃から絵を描きはじめ、13歳で林青山の門に入り「燕山」と ...

群馬県内外43カ所の寺院に天井画を描いた林青山

2021/7/5  

群馬県利根郡桃野村上津(現在のみなかみ町上津)に生まれた林青山(1847-1933)は、6歳で藤岡の法橋重信の門に入り、絵の勉強をはじめ、13歳の時に湯の原村(現在の新治村)の林豊山に師事し、また華道 ...

郷土画家として多くの後進を育てた青木翠山と利根沼田の門人

2021/7/5  

青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家計を助けたという。そ ...

群馬師範学校の生徒実習に鉛筆画を導入した武居梅坡

2021/7/5  

武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南蘋派の矢島乾庵に学び、18歳 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

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