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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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彦根の歴史風景を記録画として描き残した上田道三

2023/11/23  

上田道三(1908-1984)は、彦根市に生まれ、尋常小学校6年の時に京都の義姉のもとに行き、その知人で日本画家の榊原紫峰の紹介で不染鉄の内弟子となり、奈良に居を移した不染について同地で画を学んだ。し ...

上村松篁らと創造美術を結成した沢宏靱

2023/11/20  

沢宏靱(1905-1982)は、滋賀県坂田郡長浜町神戸(現在の長浜市)に生まれた。15歳の時に京都に出て西山翠嶂(参考)の内弟子となり、昭和6年に第12回帝展で初入選し、その後も3回連続して入選を果た ...

湖国画壇の確立に尽力した西田恵泉

2023/11/15  

西田恵泉(1902-1980)は、滋賀県栗太郡大宝村(現在の栗東町)に生まれた。京都に出て川北霞峰に2年間師事したのち、東京の日本美術学校日本画科に入学し、大正12年の同校卒業後は東京三越の図案部に勤 ...

生涯にわたり故郷・蒲生野の風景を描いた野口謙蔵

2023/11/13  

野口謙蔵(1901-1944)は、滋賀県蒲生郡桜川村(現在の東近江市)に生まれた。日本画家の野口小蘋は叔母にあたる。彦根中学卒業後は東京美術学校西洋画科に進学し、和田英作(参考)の教室に学んだ。東京で ...

70歳過ぎてから渡仏しパリ風景で好評を得た鷲田新太

2023/11/8  

鷲田新太(1900-1977)は、滋賀県野洲郡(現在の野洲市)に生まれた。上京して川端洋画研究所に学び、はじめ春陽展に出品し、安井曾太郎(参考)に師事して新世紀展や二科展に出品した。その後、美術雑誌『 ...

島野重之、北川嚠三ら滋賀県ゆかりの光風会の洋画家

2023/11/6  

滋賀県ゆかりで明治生まれの洋画家の所属団体としては、島野重之、島戸繁、北川嚠三らが活躍した光風会が主流といえる。また、滋賀大学で美術を教えていた山尾平と北川威夫がともに光風会会員だったことから、同校を ...

信濃橋洋画研究所で学び春陽展で活躍した秋口保波

2023/11/3  

秋口保波(1897-1976)は、滋賀県犬上郡青波村(現在の彦根市芹川町)に生まれた。滋賀師範学校を出て教職につき、約10年間教員生活のかたわら絵画グループで研究し、のちに大阪の信濃橋洋画研究所に入り ...

黒田重太郎に学び関西の美術教育に尽くした伊庭伝治郎

2025/2/13  

伊庭伝治郎(1901-1967)は、滋賀県野洲郡北里村(現在の近江八幡市)に生まれた。北里村小学校に通っていた時に父親が死去し、以後母と妹の3人暮らしとなった。高等科卒業後、近江八幡の呉服問屋森五商店 ...

信濃橋洋画研究所を設立し、関西を中心に後進の育成につとめた黒田重太郎

2023/10/30  

黒田重太郎(1887-1970)は、滋賀県大津市に生まれ、幼少年期を大阪で過ごした。17歳の時に画家を志して京都の鹿子木孟郎(参考)に師事し、聖護院洋画研究所で浅井忠(参考)の指導も受けた。19歳の時 ...

大正期の京都洋画壇で活躍した国松桂渓

2025/2/13  

国松桂渓(1884-1962)は、滋賀県栗太郎郡葉山村(現在の栗原町)に生まれた。中学校卒業後、京都に出て聖護院洋画研究所に入り浅井忠に師事し、その後、浅井忠を中心に創立された関西美術院に移った。浅井 ...

一貫して湖国風景を描き続けた岩本周煕

2023/10/24  

岩本周熙(1900-1987)は、滋賀県高島郡剣熊村(現在の高島市)に生まれ、4歳頃に京都に移住した。大正13年に京都市立絵画専門学校を卒業し、その後は、同校の教授だった菊池契月に師事した。同門に草津 ...

京都紫野大徳寺瑞峯院に大画面の襖絵を残した野添平米

2023/10/18  

野添平米(1895-1980)は、滋賀県栗太郎下笠村(現在の草津市下笠町)の農家に生まれた。18歳の時に画家を志して京都に出て菊池芳文の門に入り、芳文没後は芳文の娘婿にあたる菊池契月に師事した。 24 ...

官展を離れ孤高の宗教画家の道を歩んだ杉本哲郎

2023/10/16  

杉本哲郎(1899-1985)は滋賀県大津市に生まれた。はじめ近隣に住んでいた日本画家の山田翠谷に画の手ほどきを受け、14歳の時に商業学校から京都市立工芸美術学校に転校したのを機に、山元春挙の私塾・早 ...

在野精神を貫くため新興美術院を創設した茨木杉風

2023/10/13  

茨木杉風(1898-1976)は、滋賀県蒲生郡八幡町(現在の近江八幡市)の海産物問屋梅田屋の4代目・茨木芳蔵の長男として生まれた。5代目を継いで家業に従事しながら独学で画を学んでいたが、22歳の時に上 ...

女性で最初の日本美術院同人となった小倉遊亀

2024/12/11  

小倉遊亀(1895-2000)は、滋賀県滋賀郡大津丸屋町(現在の大津市中央1丁目)に生まれた。父親は大津で時計商を営んでいたが、遊亀が10歳の時、土木事業を興す野望を持ち、日露戦争終結後の満州に単身で ...

文展を離れ日本自由画壇の結成に参加した渡辺公観

2023/10/6  

渡辺公観(1877-1938)は、大津鍵屋町(現在の大津市)に生まれた。父親は円満院門跡の侍医をつとめていた。円満院門跡は当時、大津における文化人の後援者的存在だったことから、公観も教養豊かな環境のな ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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