有楽斎長秀(不明-不明)は、京都の人で、寛政年間後期から天保年間後期に活躍した。一時期大坂でも活動し、その際には錦絵も手掛けた。上方浮世絵師としては長い期間の作画が確認できる。画系は不明だが、寛政から文化年間の役者絵には流光斎如圭の影響が見い出せる。
有楽斎長秀(不明-不明)うらくさい・ながひで
京都の人。姓は中邑氏。有楽斎、長秀、中村長秀などと称した。法橋有楽斎と署記した例もある。大坂にも居住し、二都において寛政から天保に至るまで活躍した。合羽摺のほか錦絵、芝居番付、絵本挿絵なども制作した。一説に流光斎如圭の門人とされる。
大阪(57)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、上方浮世絵の世界