
狩野宗信「布袋図」ボストン美術館蔵
狩野宗信(不明-1545)は、江戸時代の画譜類によると狩野元信の長男で、父よりかなり早く没したとされるが、その伝歴については不明な点が多い。没年に関しては『言継卿記』天文14年(1545)4月14日条に記されている「絵師狩野嫡子も今日死云々」を宗信のこととみる説が有力視されている。
これまで宗信筆と確認された作例はなかったが、近年になってその存在が確認された「布袋図」(掲載作品)は、「宗信」朱文壺形印が捺されている点やその画風的特徴などから判断された。とくに布袋の面貌にうかがえるアクの強さは、他に残る狩野派の布袋図に通ずものがあると評されている。
ほかに元信の門人としては、のちに北条氏政に仕え、小田原狩野派のひとりとして活躍した狩野玉楽(不明-不明)や、その兄と思われる狩野一殊牧(不明-不明)、元信の門人とも養子とも伝わっている狩野養拙(不明-不明)らがいる。
狩野宗信(不明-1545)かのう・まさのぶ
狩野元信の長男で、狩野家3代目を継いだ。幼名は四郎次郎。別号に祐清、祐雪などがある。足利義晴・義輝に仕え、法眼に叙せられた。天文14年死去した。
狩野玉楽(不明-不明)かのう・ぎょくらく
狩野元信の門人、親族とも伝わっている。狩野一殊牧の弟と思われる。別号に宗祐がある。元信に学び、山水人物を得意とした。画をもって北条氏政に仕えたという。
狩野一殊牧(不明-不明)かのう・いっしゅぼく
狩野元信の門人。寿卜といった。狩野玉楽の兄と伝えられており、相州小田原に住んでいたとされる。
狩野養拙(不明-不明)かのう・ようせつ
狩野元信の門人とも養子とも伝わっている。養雪、養説ともいい、名は宗輔。悦仙などの印もある。山水人物を得意とした。
京都(50)-画人伝・INDEX
文献:室町時代の狩野派、日本画家人名事典







