維明周奎(1731-1808)は、若狭高浜に生まれ、幼くして京都の相国寺に出家入堂し、のちに相国寺第115世をつとめた臨済宗の僧で、画人としても知られた。寺務のかたわら伊藤若冲に画法を学び、さらに中国・元明時代の古画にも学んだという。梅図を得意としたが、人物もよく描いている。
維明周奎(1731-1808)いめい・しゅうけい
享保16年若狭高浜生まれ。姓は時岡、名は周奎、大奎。維明は字。別号に羽山、若州坂田人、根奎老、青葉山人などがある。相国寺113世となった梅荘顕常に法嗣し、相国寺塔頭の光源院16世となり、のちに相国寺第115世となった。画を伊藤若冲に学び、元明時代の古画にも学んだ。高浜町内にも作品が多く残っている。文化5年、77歳で死去した。
福井(15)-画人伝・INDEX
文献:桃山の色 江戸の彩 福井ゆかりの近世絵画、高浜町の美術工芸