洋画家

古賀春江と福岡の二科会

2023/9/28  

古賀春江「埋葬」 大正3年、文部省展覧会から分離して、在野の洋画団体として二科会が誕生した。その創立会員に久留米出身の坂本繁二郎が名を連ねていた関係で、坂本を慕う同郷の若い画家たちの多くが二科会に参加 ...

実直な写実を貫いた中村研一と福岡の官展系洋画家

2023/9/28  

中村研一「サイゴンの夢」 宗像郡生まれの中村研一(1895-1967)は、東京美術学校で岡田三郎助に師事し、早くからその才能が注目され、卒業の年には帝展に初入選した。美校在学中から留学を希望し、大正1 ...

写実理論を作品と執筆の両面から確立しようとした前田寛治

2023/9/28  

前田寛治「西洋婦人像」 鳥取県中部の中北条村国坂の農家の二男として生まれた前田寛治(1896-1930)は、倉吉中学を卒業後、東京美術学校を卒業して倉吉中学に赴任したばかりの中井金三の勧めもあって画家 ...

鳥取の近代的文化運動の中核となって活動した中井金三と砂丘社

2021/7/9  

中井金三「薔薇」 明治末期から大正にかけて、東京美術学校で学んだ新進気鋭の指導者たちが、鳥取中学、師範学校、倉吉中学に着任し、広く洋画が普及していった。さらに、大正末期から昭和初期になると、美術だけで ...

森岡柳蔵ら東京で学んだ鳥取出身の洋画家

2021/7/9  

森岡柳蔵「読書」倉吉博物館蔵 遠藤董が伝えた油絵の技法や新しい洋画の思想によって、鳥取県の洋画界はしだいに活気を帯び、上京して美術を学ぶものも出てきた。森岡柳蔵(1878-1961)は明治31年に上京 ...

鳥取にはじめて本格的な油絵を伝えた郷土教育の父・遠藤董

2021/7/9  

遠藤董「こともし」鳥取県立博物館蔵 鳥取県にはじめて本格的な油絵を伝えたのは、のちに「鳥取の郷土教育の父」と称される遠藤董(1853-1945)である。遠藤は、狩野派の藩絵師・根本雪峨に学んだのち、東 ...

松江洋画研究所を設立して島根の美術振興に貢献した草光信成と木村義男

2021/7/9  

草光信成 三部試作「成長」のうち「手伝」 森本香谷、草光信成(1892-1970)、木村義男(1899-1985)を中心メンバーとして設立された松江洋画研究所は、大正末から昭和初期にかけて島根の洋画振 ...

フォルム画廊を設立した美術評論家・福島繁太郎と香月泰男

2021/7/9  

香月泰男「涅槃」山口県立美術館蔵 福島コレクションで知られる美術評論家で画商の福島繁太郎(1895-1960)は、東京帝国大学を卒業後、パリに渡りエコール・ド・パリの画家たちと交流、彼らの作品をコレク ...

制作と理論の両面で抽象絵画の可能姓を追及した長谷川三郎

2021/7/9  

長谷川三郎「蝶の軌跡」 下関に生まれ早い時期に神戸に移り住んだ長谷川三郎(1906-1957)は、東京帝国大学美術史学科卒業後にアメリカ、ヨーロッパを遊学、帰国して本格的な画家活動を開始するとともに、 ...

層が薄く散発的な長州の初期洋画家

2021/7/9  

永地秀太「絞り」山口県立美術館蔵 明治維新に関わった薩摩、肥前からは日本の近代洋画の初期から形成期にかけて多くの重要な洋画家が出ているが、薩摩とともに明治政府を主導した長州からは、主だった洋画家が出て ...




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