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ペリー応接に同席し写生した松代藩医師・高川文筌
2021/8/25
高川文筌「米利堅人等写真図」 嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に現れると、松代藩は品川に設けられた台場の警衛を担当し、翌7年のペリー再来航でも、横浜に設けられた応接場の警衛を小倉藩 ...
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会津に初めて西洋画法を伝えた遠藤香村
2021/7/6
遠藤香村「西洋喫茶図」 南大戸村香塩(現在の会津若松市)の農家に生まれた遠藤香村(1787-1864)は、幼いころから画を好み、会津藩絵師・田村観瀾に狩野派を学んだとされるが、経歴には不詳な点が多い。 ...
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幼いころから亜欧堂田善の実家に出入りし一番弟子となった遠藤田一
2021/7/6
遠藤田一「佃島南望之図」 須賀川加治町の商家・恵比須屋に生まれた遠藤田一(1765-1834)は、幼いころから絵を好み、隣町で染物屋を営んでいた亜欧堂田善の実家に出入りし、田善や兄の永田崑山に絵の手ほ ...
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亜欧堂田善に師事した須賀川派の洋風画家・安田田騏
2021/7/6
安田田騏「象のいる異国風景図」 実用的銅版画を完成させ、洋風画家として名を成した亜欧堂田善の出現によって、須賀川地方を中心に、田善の影響を受けながら洋風画の画業を受け継ぐものたちが出てきた。これらの画 ...
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実用的銅版画を完成させた須賀川の洋風画家・亜欧堂田善
2024/12/11
亜欧堂田善「両国図」絹本油彩 洋風画の開拓者・平賀源内(1728-1780)が秋田藩を訪れた際に、小田野直武(1749-1780)、佐竹曙山(1748-1785)に西洋画法を伝えて「秋田蘭画」が誕生し ...
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秋田蘭画を受け継ぎ江戸系洋風画へと展開させた司馬江漢
2021/7/6
司馬江漢「西洋人樽造図」提供:東京国立博物館 秋田蘭画は、小田野直武、佐竹曙山を中心に盛り上がりをみせたが、安永8年、直武に西洋画法を伝授した平賀源内の死去にはじまり、翌年には直武が、その5年後には曙 ...
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秋田蘭画の画家たち
2021/7/6
左:藤氏憲承「円窓美人図」、右:太田洞玉「蝦蟇仙人図」 秋田蘭画の画家としては、平賀源内に西洋画法を伝授された小田野直武と、直武から画法を学んだ秋田藩主・佐竹曙山を中心に、直武のよき理解者だった角館城 ...
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狩野派の筆致に陰影法を加味した作品を残した荻津勝孝
2021/7/6
荻津勝孝夫妻像 荻津勝孝 佐竹曙山の直臣・荻津勝孝も秋田蘭画を描いた人物のひとりとされ、平賀源内が秋田滞在中に、小田野直武、田代忠国とともに源内に西洋画法を伝授されたと伝わっている。狩野洞春の画風を学 ...
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平賀源内から直接西洋画法を学んだとされる田代忠国
2021/7/6
三聖人図 田代忠国 秋田の俳人・森田顕忠の子として生まれた田代忠国は、秋田藩士・田代網紀の養子となり、産物方として佐竹曙山、義和の二代の秋田藩主に仕えた。洋学に通じ、直臣としてよく仕えたので、曙山から ...
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小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬
2021/7/6
佐竹義躬 左:岩に芙蓉に蔦図 右:松に白百合図 第6代角館城代の佐竹義躬(1749-1800)は、小田野直武が直接仕えた上役であり、よき理解者だった。そして、直武から直接西洋画法を学んだ秋田蘭画の画家 ...
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日本初の西洋画論を著した秋田藩藩主・佐竹曙山
2021/7/6
佐竹曙山 左:岩に牡丹図 右:松に唐鳥図 秋田蘭画が生まれるきっかけとなった平賀源内の秋田招聘は、時の秋田藩主・佐竹曙山によって行なわれた。曙山は、鉱山開発のために招いた源内が角館で小田野直武に洋画法 ...
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秋田蘭画の中心人物・小田野直武
2021/7/6
不忍池図(重文)小田野直武 秋田県立近代美術館蔵 小田野直武(1749-1780)は、寛政2年に秋田藩角館の武士の家に生まれ、幼いころから画才を示したといわれ、秋田藩お抱え絵師から狩野派を学び、さらに ...
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秋田蘭画の誕生と平賀源内
2024/12/14
西洋婦人像 平賀源内 神戸市立博物館蔵 江戸中期になると、蘭学と密接に結びついた和洋折衷の洋風画が、長崎、京坂、江戸、須賀川、秋田など各地で展開されるようになった。そのなかでも、秋田藩士・藩主らによっ ...
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長崎版画と版下絵師
2024/12/21
長崎版画 長崎版画とは、江戸時代に長崎で制作された異国情緒あふれる版画のことで、主に旅人相手に土産物として売られた。長崎絵、長崎浮世絵などとも呼ばれている。同じころ江戸で盛んだった浮世絵が、役者、遊女 ...
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シーボルトのお抱え絵師・川原慶賀
2021/7/6
川原慶賀「洋人絵画鑑賞図」 文政6年、オランダ東インド政庁の商館付医師として長崎出島に赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は、日本の門人に西洋医学などを教授するととも ...
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洋風画にも通じた唐絵目利・石崎融思と長崎の洋風画家
2021/7/6
石崎融思「唐館図蘭館図絵巻」(部分) 長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを判定、さらにその画法を修得することを主な職務とした唐絵目利は、渡辺家、石崎家、広渡家の3家が世襲制でその職務についていた ...