日本画家

蒔絵にすぐれ日本画も手がけた秋月可山

2021/7/6  

秋月可山「武者絵」高鍋町歴史総合資料館蔵 大正9年(1920)に発行された「県政評論」では、秋月可山(1867-1932)、土居彩畝(1891-1987)に、延岡から宮崎に移り住んでいた佐藤小皐(18 ...

大橋翠石に私淑した都城の虎の画家・小山田秋甫

2021/7/6  

小山田秋甫「彩色双虎図」 山内多門(1878-1932)や益田玉城(1881-1955)らと同時代の都城の画家に、虎の絵を専門とした小山田秋甫(1873-1927)がいる。秋甫は、幼いころから絵筆をと ...

多門や玉城と親しく交わり絵を学んだ丸田省吾

2023/9/27  

丸田省吾「おしろい花」宮崎県立美術館蔵 都城に生まれた丸田省吾(1880-1961)は、従兄である山内多門(1878-1932)や、義兄にあたる益田玉城(1881-1955)と親しく交わり絵を学んだ画 ...

第9回文展の美人画室でデビューした都城の美人画家・益田玉城

2023/9/27  

益田玉城「現代隅田川風景」都城市立美術館蔵 都城に生まれた益田玉城(1881-1955)は、15歳の時に京都に出て京都市美術工芸学校に入学したが、体を壊し休学して故郷に戻った。失意の玉城を励ましたのは ...

宮崎県を代表する日本画家・山内多門

2021/7/6  

山内多門「驟雨之図」宮崎県立美術館蔵 宮崎県を代表する日本画家に都城の山内多門(1878-1932)がいる。多門は、西南戦争の翌年である明治11年に都城市に生まれ、郷土の狩野派・中原南渓に画法を学んだ ...

福田平八郎の登場、そして高山辰雄へと続く大分出身の日本画家

2021/7/6  

福田平八郎「漣」 大分県の近代日本画史の上に占める福田平八郎の存在は大きい。大分県では明治末期まで幅広い南画の展開がみられ、明治30年代における新日本画運動も弱々しいものだったが、平八郎の登場により、 ...

京都の大分県画壇の草分け・高倉観崖と牧皎堂

2021/7/6  

高倉観崖 福田平八郎が画壇で注目を受ける以前に、京都で活躍した大分県出身の日本画家として、高倉観崖と牧皎堂がいる。彼らは京都での大分県画壇の草分けともいえる存在で、大分県内で藤原竹郷や松本古村らが興し ...

福田平八郎の師から弟子になった首藤雨郊

2021/7/6  

首藤雨郊「冬の日の叡山」大分県立美術館蔵 近代日本画の大家・福田平八郎(1892-1974)の才能をいち早く見出し、絵画の道に導いたのは、当時小学校の教諭をしていた首藤雨郊(1883-1943)である ...

大分県に近代日本画を持ち込んだ藤原竹郷と松本古村

2021/7/6  

藤原竹郷「菅原道真」竹田津小学校蔵 南画でなければ日本画ではないという空気の強かった南画王国・大分県に、新しい日本画を持ち込み、美術教師として県内に広めた最初の人物は、東国東郡出身の藤原竹郷(1872 ...

大正・昭和期の熊本の日本画家

2021/7/6  

福島峰雲「球磨川真景」(部分)熊本県立美術館蔵 明治後期から大正にかけて、京都や東京の美術学校や画塾で学んだ青年画家たちが次々と帰郷し、大正・昭和期の熊本日本画壇を担った。東京美術学校を卒業後、母校の ...




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