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紀州の野呂介石に学び大雅風を描いた画僧少林
2024/11/4
少林「青緑山水図」 少林(不明-1835)は、大坂の北中島小松村久昌院の住持で「少林山人」とも呼ばれた。紀州の野呂介石に画を学び、介石を通じて池大雅風の南画を学んだと思われる。詳しい経歴は不明だが、文 ...
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重層的な岩肌をみせる高峰を好んで描いた金子雪操
2024/11/1
金子雪操「春秋山水図」 文政中頃から天保にかけての大坂南画壇は、文政7年版『浪加華人物誌』、天保8年版『浪華郷友録』によると、岡熊嶽・琴嶽父子、藤九鸞、森川竹窓、岡田半江、菅井梅関、木村石居、僧愛石、 ...
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父米山人同様に晩年に多くの傑作を生んだ岡田半江
2024/10/30
岡田半江「米法山水図巻」(部分) 岡田半江(1782-1846)は、岡田米山人の子として生まれ、幼いころから父に画の手ほどきを受け、はじめ小米と号したが22歳頃に半江と改めた。28歳頃には父同様に津の ...
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大坂南画壇最盛期に指導的役割を果たした岡田米山人
2024/10/28
岡田米山人「含翠堂図」 天明・寛政期の大坂南画壇は、福原五岳、木村蒹葭堂を中核として若手の画人たちが多数出現した。寛政2年版『浪華郷友録』によると、この頃の南画家としては、岡田米山人をはじめ、福原五岳 ...
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伊勢長島藩に招かれ藩校文礼館を再興した十時梅厓
2024/10/25
十時梅厓「山水図屏風」東京国立博物館 十時梅厓(1749-1804)は、漢学を伊藤東所に、書法を大谷永庵と趙陶斎に、和歌を小沢蘆庵に学び、唐様の書や山水・四君子を得意とした。天明4年頃、陶斎との縁で知 ...
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多年戸を閉ざし古画を模写して一家を成した鼎春嶽
2024/10/23
鼎春嶽「煙霞山水図」 鼎春嶽(1766-1811)は、福原五岳について画を学び、のちに諸流の画法を研究し、多年戸を閉ざして諸家秘蔵の書画を模写して一家を成したという。田能村竹田は『山中人饒舌』と『竹田 ...
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五岳の門に学び蘭の栽培にも情熱を燃やした岡熊嶽
2024/10/21
岡熊嶽「伏見桃畑図」 岡熊嶽(1762-1833)は、福原五岳の門に学び、のちに諸流派の画法を研究した。山水人物を得意とし、作風は師風をしのばせるが、掲載の「伏見桃畑図」をはじめ同門の林閬苑の作品を臨 ...
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明画に学び幅の広い奇矯な作画活動を展開した林閬苑
2024/10/18
林閬苑 左から「蹊橋飛瀑図 那波網川賛」「中国人物図」「瀧山水図」 林閬苑(不明-不明)は、福原五岳に学び、さらに堺の豪商宅の明画を臨摸し、写実的でプリミティブな独自の画風を確立したとされる。長崎派風 ...
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医業のかたわら福原五岳に画を学んだ浜田杏堂
2024/10/16
浜田杏堂「山水図」 浜田杏堂(1766-1814)は、幼くして大坂の医師浜田家の養子となり医業を継いだ。一方で早くから画を好み、福原五岳に師事するとともに元明の山水画や花鳥画を学んで一家を成し、山水花 ...
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近世大坂最大の文化サロンを主催した片山北海
2024/10/14
岡田君章「雪中訪友図」 片山北海(1723-1790)は、越後国に生まれ、京都で折衷学派の儒者・宇野明霞に師事した。明霞没後は招かれて大坂に移り、立売堀で孤松館を開塾した。門弟も多く、藩儒として請われ ...
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古今の珍品を多数収蔵した好事家として知られ、大坂の初期南画家の育成にも指導的役割を果たした木村蒹葭堂
2025/1/13
木村蒹葭堂「西園雅集図」 木村蒹葭堂(1736-1802)は、北堀江瓶橋(現在の大阪市西区)で代々酒造業を営んでいた家に生まれた。通称を坪井屋吉右衛門といい、巽斎などと号したが、新造した書庫の名を「蒹 ...
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大坂における南画壇隆昌の先鞭をつけた福原五岳
2024/10/9
福原五岳「洞爺湖図」 福原五岳(1730-1799)は、備後国尾道(現在の広島県尾道市)に生まれ、京都に出て池大雅に学び、大雅随一の弟子と評された。その後大坂に移り大雅風を広め、大坂の南画壇隆昌の先鞭 ...
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唐様の書の第一人者で書画・篆刻に優れた趙陶斎
2024/10/7
趙陶斎「水墨山水図」 趙陶斎(1713-1786)は、来泊清人と花魁との間に生まれたとされ、幼いころ父母と死別し、長崎で竺仙禅師について出家し黄檗僧となった。宇治の萬福寺を経て、江戸で十数年を過ごした ...
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飄逸にしてモダンな画風で異彩を放った水越松南
2024/3/8
水越松南「化粧」京都国立近代美術館蔵 水越松南(1888-1985)は、姫路藩の漢学者の子として神戸に生まれ、第一神戸中学校を中退して京都に出て谷口 香嶠(参考)に師事し、その後京都市立美術工芸学校図 ...
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但馬城崎温泉に生まれ諸国の景勝地を訪ねた斎藤畸庵
2024/1/26
斎藤畸庵「水墨山水」 但馬国城崎温泉の旅館「伊勢屋」の長男として生まれた斎藤畸庵(1805-1883)は、幼少時に父を亡くし、耳を悪くするなかで早くから詩文に親しみ、15歳の時に京都に出て中林竹洞に南 ...
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山本梅逸晩年の有力な門人・青根九江
2023/8/11
青根九江「花鳥図」 青根九江(1804-1854)は、彦根城下の下魚屋町(現在の彦根市城町)で藩主御用の茶屋を営む富商の子として生まれた。分家して山城屋と称して本家の向かいに住んでいたという。いつ頃京 ...