UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「画人伝・宮崎」 一覧

延岡藩の南画家・岡部南圃

延岡藩の最初の御用絵師・佐藤周鱗斎は狩野派だったが、その後の延岡の絵師は、周鱗斎の子の佐藤竹皐、孫の佐藤小皐をはじめ、そのほとんどが南画を学んでいる。延岡藩が南画王国だった豊後に近く、また飛び地もあっ ...

都城の四条派・赤池南鳳

江戸後期になると、粉本主義に陥った狩野派は衰退していき、全国的に南画や写生主義の円山四条派がそれに代わっていった。都城でも四条派の絵が盛んに描かれるようになり、その先駆けである速見晴文をはじめ、鶏の絵 ...

延岡藩の御用絵師・佐藤周鱗斎

経歴や作品が残っている延岡藩の御用絵師として、最も早い時期に名前が出てくるのは佐藤周鱗斎(1776-不明)である。周鱗斎の持ち物だった『狩野家累世所用画法』から狩野派の画を学んだことがわかるが、その習 ...

飫肥藩の絵師・狩野派の横山惟儀、養徳親子

飫肥藩の絵師としては、天保の頃、横山惟儀(不明-不明)、横山養徳(1799-不明)の親子がいた。惟儀は江戸で狩野派に学び、「花木、禽鳥可ならざるはなし」と言われたという。早くから山林愛護の大切さを説い ...

佐土原藩の絵師・狩野永諄

佐土原藩では狩野永諄(1652-不明)が絵師としてつとめた。永諄は佐土原藩の家臣ではなく、絵師として招かれて佐土原に来た人物と思われる。作品は、佐土原町の大光寺に残っている「出山仙」「維摩居士図」など ...

高鍋藩御用絵師を代々世襲した安田家

高鍋藩では、安田義成(不明-1696)を初代とする安田家が、代々世襲で御用絵師をつとめた。初代義成は、木挽町狩野家の狩野尚信の門人だったが、高鍋藩二代藩主・秋月種春に招かれて寛文7年に高鍋にきた。それ ...

都城における江戸期最後の狩野派・中原南渓

中原南渓(1830-1897)は、都城領主・島津久静の命により、鹿児島の狩野派・能勢一清に師事し狩野派の画法を学んだ。長峰探隠以来の名手とされ、久静のお抱え絵師となり、狩野派らしい筆法で多くの名作を世 ...

鍛冶橋狩野派に学んだ山路探定と長峰探隠

18世紀初めまでは、都城に数多くの絵師の名前が残っているが、18世紀中頃から19世紀前半の間に名前が見られるのは、山路探定(1728-1793)と長峰探隠(1785-1861)の二人だけであり、ともに ...

狩野常信門下の四天王のひとり・永井慶竺

都城には竹之下信成と同時代の絵師として永井実益(1637-1696)がいた。系図によると実益の父・利挙は二度結婚しており、一人は能賢の弟子・湛慶の娘で、もう一人は白谷卜斎の娘であり、実益は白谷卜斎の縁 ...

木挽町狩野家に学んだ都城の絵師・竹之下信成

都城島津家の絵師たちは、ほとんど狩野派に学んでいるが、白谷卜斎にやや遅れて出た内藤等甫(不明-1664)、竹之下信成(1639-1682)、津曲朴栄(1654-1701)は木挽町狩野家に学んでいる。等 ...

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