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狩野常信門下の四天王のひとり・永井慶竺
2021/7/6
永井慶竺「百猿図」宮之城町歴史研修センター寄託(個人蔵) 都城には竹之下信成と同時代の絵師として永井実益(1637-1696)がいた。系図によると実益の父・利挙は二度結婚しており、一人は能賢の弟子・湛 ...
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長崎画人伝を著した唐絵目利渡辺家七代・渡辺鶴洲
2021/7/8
渡辺鶴州「一品朝天図」 唐絵目利渡辺家7代を継いだ渡辺鶴洲(1778-1830)は、長崎画人伝の著者としても知られる。長崎画人伝は、一度途絶えたような形となった渡辺家を継いだ鶴洲が、唐絵目利の中での渡 ...
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豊前小倉藩御用絵師・高木豊水と小倉の町絵師
2021/7/9
高木豊水「百亀百鶴図」 小倉藩の御用絵師に関しては、残された史料が乏しく、存在さえも断片的にしか追跡できていない。記録に残るもっとも古い小倉藩御用絵師は、雲谷等益の門人で萩藩の絵師だった黒川等育で、小 ...
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筑後柳河藩御用絵師・梅沢晴峩と北島勝永
2021/7/6
梅沢晴峩「鷹摶撃雁図」 柳河藩においては、江戸初期から中期にかけての文書や書画類が多く焼失しており、御用絵師の存在を確認できるのは江戸後期になってからである。それ以前の柳河藩には、福岡藩の尾形家や久留 ...
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鳥取画壇の祖・土方稲嶺、鯉の名手と謳われた門人の黒田稲皐と小畑稲升
2021/7/9
土方稲嶺「麝香花下悠々之図」 鳥取画壇の祖と称される土方稲嶺(1741-1807)は、鳥取に生まれ、江戸に出て宋紫石の門に入り南蘋派を学んだ。のちに京都に移り、一説には円山応挙に師事したとされる。寛政 ...
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橋本秀峰ら鳥取の狩野派の絵師
2021/7/9
左:橋本秀峰「野馬図」、右:二熊一笑「大江山図」 鳥取藩士だった橋本秀峰(1796-1883)は、文芸や書にも広く通じ、江戸の藩務のかたわら鍛冶橋の狩野探淵に師事し、野馬図を得意とした。鳥取出身で、は ...
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平田ゆかりの日本画家、小村大雲と落合朗風
2021/7/9
小村大雲「猛虎豹屏風」 出雲市平田出身の小村大雲(1883-1938)は、山元春挙の画塾・早苗塾門下生の四天王と称され、帝展委員などをつとめた。作域は広く、山水、人物、動物など多岐に渡ったが、なかでも ...
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雪舟の後継者・雲谷派の系譜
2021/7/9
雲谷等顔「群馬図屏風」 雲谷派のはじまりは、長州藩を治めていた毛利輝元が、原治兵衛直治(のちの雲谷等顔)に雪舟のアトリエだった雲谷庵と雪舟筆「山水長巻」を与え、雪舟流の正統を継ぐように命じたことに起因 ...
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福山藩の狩野派、片山墨随斎守春・索準斎守規父子
2021/7/24
片山索準斎守規 幕府御用絵師の狩野派は、福山藩にも早くからもたらされ、明和・天明の頃に土屋索進斎(不明-不明)が出ている。索進斎は、福山城下深津町鉄屋に生まれ、京都に出て狩野派の鶴沢探鯨・探索に学び、 ...
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岡山に南画を伝えた讃岐の黒田綾山と肥前の釧雲泉
2021/7/9
黒田綾山「虎に叭々鳥図」 岡山に本格的な南画を伝えたのは讃岐の黒田綾山(1755-1814)である。綾山は、福原五岳に学び、人物画を得意とした。安永9年ころに備中玉島に遊び、この土地を愛し、天明5に再 ...
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風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち
2022/9/3
松平頼該 左:瓢鮎図、右:松に鶴図 松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、 ...
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高松藩の狩野派、元祖・狩野常眞と高松藩御用絵師の系譜
2022/9/3
狩野常眞「叭々鳥図」 江戸時代は幕府の御用絵師に狩野派が登用されていたため、全国的に狩野派の絵師を召し抱える藩が多く、高松藩においても二代藩主松平頼常の頃、もしくは初代頼重の終わり頃に、狩野派の絵師・ ...
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岸駒に学び、江戸で活躍した沖冠岳
2021/7/9
沖冠岳 左:流水響空図、右:猛虎之図 今治に生まれ山本雲渓の手ほどきを受けて絵画に目覚めた沖冠岳(1817-1876)は、京都に出て岸駒の門に入り画を学び、その後江戸に出て谷文晁や渡辺崋山らと交わり、 ...
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森狙仙門下の猿の画人二人・山本雲渓と大内蘚圃
2021/7/9
左:山本雲渓「五匹猿図」、右:大内蘚圃「群猿」 藩の絵師として全盛を極めた狩野派や住吉派にかわり、江戸後期から末期にかけて新しい画境を切り開いたのは、長崎系南画の流れや円山派だった。今治藩の山本雲渓( ...
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江戸浜町狩野と松山藩御用絵師
2022/9/5
豊田随可「鷹ニ芦雁之図」 二代で終わった松本山雪・山月の後を受けて松山藩の御用絵師となったのは、豊田随園、武井周発、豊田随可の三代、三人である。かれらは江戸の浜町狩野家初代・狩野随川岑信、そして二代・ ...
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竹原没後の土佐画壇を支えた橋本小霞と門人
2021/7/9
橋本小霞 左:双鶴図、右:山水曲水之図 橋本小霞(1813-1879)は土佐藩徒士の家に生まれ、父の跡を継いで徒士となり、藩主の参勤に従ってたびたび江戸に上がった。江戸では徳弘董斎と同じく春木南湖に学 ...