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京都御所に花鳥画を描き名を高めた吉田公均
2022/8/1
吉田公均「金碧西園雅集図」富山市立郷土博物館蔵 吉田公均(1804-1876)は、越中江上村(現在の富山県中新川郡上市町)の農家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、それを認めた近所の住職の勧めで、1 ...
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初期の東京美術学校で学んだ新潟出身の日本画家、佐々木林風・西方春叢・桐谷洗鱗
2025/3/27
左:佐々木林風「狩猟」東京芸術大学芸術資料館蔵右:西方春叢「唐美人」東京芸術大学芸術資料館蔵 明治20年に創設された東京美術学校の日本画科で学んだ新潟出身の画家としては、佐々木林風、西方春叢、桐谷洗鱗 ...
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佐渡奉行所の絵図師をつとめた石井夏海・文海父子
2022/4/1
石井夏海「鍾馗」 佐渡国相川の郷宿を営む家に生まれた石井夏海(1783-1848)は、幼いころから画を好み、15歳の時に地元の絵師・吉村蘭秀に学び、ついで江戸に出て紀南嶺、谷文晁の門に学んだ。また、司 ...
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江戸中期の越佐画壇を主導した五十嵐浚明
2022/3/2
五十嵐浚明「商山四皓・虎渓三笑図」十輪寺蔵 五十嵐浚明(1700-1781)は、新潟町(現在の新潟市)の商家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、20代後半までは家業を手伝いながら暇をみつけては画を描 ...
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台湾の美術振興につとめた郷原古統と木下静涯
2021/12/11
郷原古統「海裳」(二曲一双のうち左隻) 日本統治時代(1895~1945)の台湾には、教育者として渡った信州人も多く、昭和2年(1927)に創設された台湾美術展では池上秀畝や矢沢弦月らが審査員をつとめ ...
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大観・観山ら新派と対照的な画業を展開した赤羽雪邦
2021/12/11
赤羽雪邦「阿呼詠詩」深志神社 赤羽雪邦「大西洋所見」 赤羽雪邦(1865-1928)は、東筑摩郡松本村並柳(現在の松本市並柳)の農家に生まれた。2、3歳の頃に父母を相次いで亡くし、母の実家で育てられた ...
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新しい時代にふさわしい日本画を模索した菱田春草
2024/12/14
菱田春草「放鶴」現存する数少ないアメリカ滞在中に描かれた作品。 下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた菱田春草(1874-1911)は、飯田学校(現在の飯田市立追手町小学校)高等科を卒業後、15歳で ...
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諏訪部直亭ら信州の児玉果亭の門人
2021/10/18
諏訪部直亭「十六羅漢」 渋温泉で作画と教育に専念していた児玉果亭のもとには、多くの弟子入り志願者が集まった。近郊の人たちは子どもに才能の兆しが見えればすぐに「果亭さん」に見てもらい、また、小坂芝田や青 ...
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柳沢文真、加藤半渓ら佐久・上田の南画家
2021/10/8
柳沢文真「商山四皓之図」 柳沢文真(1832-1915)は、南佐久郡桜井村(現在の佐久市)に生まれた。父の柳沢文叔は谷文晁に師事した南画家で、文真も8歳のころから谷文晁に師事し、文晁没後はその子・文二 ...
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飯田藩主堀家のお抱え絵師・島高麿
2021/9/20
左:島高麿「高砂尉姥図」、右:島高麿「人物像」 島高麿(1791-1871)は、伊那郡南山村(現在の泰阜村)に生まれた。飯田藩主堀家のお抱え絵師として国詰で飯田城につとめ、日常は、城中の障壁画の新規画 ...
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四条派の師風を守った関長年
2021/9/17
関長年「草廬三顧」 信濃国下高井郡松川村(現在の中野市松川)の豪商の家に生まれた関長年(1813-1877)は、20歳の時に江戸に出て四条派の大西椿年に師事し、師の一字をもらい「長年」と号した。26歳 ...
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中信地方に南画を本格的に紹介した古曳盤谷
2021/9/8
古曳盤谷「三皇・楼閣山水図」(三幅対) 古曳盤谷(1807-1885)は、伯耆国会見郡榎大谷(現在の米子市榎原)に生まれた。父盤嶺は医者で儒者だったが、文武両道に秀でており、盤谷は父から医術、漢学のほ ...
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松代藩御用絵師・大島芳暁斎と大島家三代
2021/8/23
左:大島芳暁斎「黄石公図」、右:大島芳暁斎「張良図」 三代にわたって松代藩の絵師をつとめた大島家の初代・大島芳雲斎(1766-1840)は、天明年間に江戸に出て木挽町狩野家に入門した。この時期は、松代 ...
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安曇野における狩野派の先覚・狩野梅二
2021/8/12
狩野梅二「故事人物図」 信州安曇野に狩野派の絵師が登場するのは、江戸中期に入って宝永年間のことである。穂高町だけでも十指を数える絵師が記録に残っており、そのなかでも最も年代が古いのが狩野梅二(1704 ...
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各地を遊歴して画技を磨き名を高めた三枝雲岱
2021/7/5
三枝雲岱「囲碁図」山梨県立美術館蔵 山梨県巨摩郡浅尾新田(現在の北杜市明野)に生まれた三枝雲岱(1811-1901)は、14歳の時に蔵原村の三光山宝原寺の三枝家の養子になり、22歳で住職となった。幼い ...
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近世日本の篆刻界で「印聖」と称された高芙蓉
2021/7/5
高芙蓉「静釣図」山梨県立美術館蔵 日本の篆刻は、明王朝滅亡に際して中国から亡命した黄檗禅僧によってもたらされ、17世紀中期以後に長崎に渡来した独立性易、東皐心越を祖に形成されたとされる。装飾的な技巧を ...