yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

土佐南画の流れ、楠瀬南溟から松村蘭台へ

2021/7/9  

中山高陽亡き後の土佐の南画は、大坂に出て木村兼葭堂、福原五岳ら池大雅系の文人たちと交流した楠瀬南溟(1743-1790)にはじまり、門人の松村蘭台、子の楠瀬大枝らがその流れを引き継いだ。松村蘭台は楠瀬 ...

近世土佐を代表する南画家・中山高陽と土佐の門人

2021/7/9  

近世土佐を代表する南画家として中山高陽(1717-1780)がいる。高陽は日本南画の草創期、京都で彭城百川に画を学んだのち、42歳の時に狩野派が全盛を誇る江戸に出て、詩書画の世界に独自の境地を切り開き ...

宮田洞雪と門人

2021/7/9  

駿河台狩野家に学んだ土佐の画人として、柳本洞素と同時代に活躍した宮田洞雪(1828-1897)は、駿河台狩野八代・狩野洞春陽信に師事したのち、諸国を遊歴している。明治17年のパリ万国博覧会には狩野派の ...

柳本洞素と門人

2021/7/9  

柳本洞素(1838-1894)は弘瀬洞意(絵金)に学んだ後、江戸に出て駿河台狩野七代・狩野洞白陳信の門に入り、安政4年には土佐藩の御用絵師になった。山内豊範の御居間勤めを明治3年頃までつとめ、以後は町 ...

絵金と絵金派

2024/12/11  

絵金が創出した「芝居絵屏風」は、土佐の各地から集まった弟子や孫弟子たちによって幕末から昭和初期まで描き継がれた。それらは一括して「土佐芝居絵屏風」と呼ばれ、それらを描く弟子たちは各地で「絵金さん」と呼 ...

絵描きの金蔵

2024/12/11  

江戸で駿河台狩野に学ぶ機会を得た、土佐の髪結いの息子・金蔵は、わずか3年で「洞意」の号を得て帰郷し、土佐藩家老桐間家の御用絵師をつとめた。腕もたち、人気にも恵まれた若き狩野派の絵師・金蔵は順調に画業を ...

土佐唯一の土佐派・滝口国成と諸派の画人

2021/7/9  

近世の土佐では、藩の御用絵師は狩野派がつとめ、知識人の間では南画が広まっていた。そのためか、その他の流派はきわめて少ない。記録にある画人としては、土佐光貞に学んだ滝口国成(不明-1848)が唯一の土佐 ...

池添楊斎と池添一族

2021/7/9  

土佐藩の御用絵師・池添楊斎(1791-1841)は、弘瀬洞意(絵金)の師匠として知られている。池添家は代々絵を描いており、楊斎の養父・池添美光は江戸に出て駿河台狩野四代・狩野洞春美信の門に学び、藩の絵 ...

河鍋暁斎の師・前村洞和と土佐の狩野派

2021/7/9  

江戸で仕えた土佐藩の絵師のうち、前村洞和と荒木寛畝は土佐の生まれではない。前村洞和(不明-1841)は、江戸に生まれ、駿河台狩野で学び江戸土佐藩の御用絵師をつとめた。江戸で洞和に学んだ土佐の画人として ...

駿河台狩野と土佐の狩野派

2021/7/9  

土佐藩の御用絵師である村上家は、狩野探幽やその弟子たちに学んできた。近世土佐の狩野派随一の画人と称された近藤洞簫(1653-1693)も、村上家に入門し狩野派を学んだのち、江戸に出て探幽の養子である駿 ...

土佐の初期画人

2021/7/9  

約400年前に竣工された高知城の三の丸内部は、狩野派と長谷川派の絵師たちによって装飾されたことが伝わっている。そのうちの大広間上段や松の間の装飾は、土佐在住の狩野派の画人・高島孫右衛門が手掛けたものと ...

謎の浮世絵師・東洲斎写楽と阿波藩の関係

2024/12/11  

江戸時代の謎の浮世絵師・東洲斎写楽の正体に関しては、様々な説があるが決定的はものはないのが現状である。ただ、英国ケンブリッジ大学図書館に所蔵されている斎藤月岑自筆本『増補浮世絵類考』に、東洲斎写楽に関 ...

日本で最も早くヨーロッパで西洋美術を目にした画家・原鵬雲

2022/8/20  

明治維新の前後にいち早く西洋美術と出合った徳島の画家として、原鵬雲、井上辨次郎、守住勇魚がいる。日本の美術はこの時期に欧米の美術と本格的な接触を持つようになり、大きく変貌していった。近代美術の幕開けの ...

近代徳島の住吉派、森魚渕・多田藍香・湯浅桑月と門人たち

2022/8/20  

阿波の住吉派の第一人者である守住貫魚の門下で最も傑出した画人と称された森魚渕(1830-1909)は、ほとんどを徳島の地で活動し、地元画壇の発展に貢献した。明治20年代にできた徳島絵画協会では中心的な ...

浅井柳塘と徳島の近代南画家

2022/8/20  

徳島ゆかりの近代南画家としては、幕末から明治初頭にかけて、京都で名声を博した浅井柳塘(1842-1907)がいる。生地は京都と徳島の2説がある。百々広年、谷口藹山に南画を学び、貫名海屋にも教えを受けた ...

阿波の四条派・浜口南涯と吉成葭亭

2022/8/20  

浜口南涯(1801-1865)と吉成葭亭(1807-1869)は同じ四条派で、画の評判は拮抗していたが、医を業としながら和歌や茶道などもたしなむ南涯に対し、大酒飲みで奇人の葭亭は、お互いにそりが合わな ...