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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/11/20
墨江武禅(1734-1806)は、舟運業者が集住していた大坂の船町に住み、上荷船の運航に携わっていたが、のちに天目釜彫物を学び、彫金を手掛けた。さらに月岡雪鼎に画を学び、宋元の古蹟を研究して一家をなし ...
2024/11/18
桂宗信(1735-1790)は、月岡雪鼎の門に学び、肉筆美人画を得意とした。また、版刻画も手掛け、『狂歌五題集』『絵本三国志』『狂歌両節東街道』などが残っている。これらの絵本類の刊行は明和から安永、天 ...
2024/11/15
月岡雪鼎と同時期にその影響の下に作画した画人に北尾辰宣(不明-不明)がいる。詳しい経歴は不明だが、延享から安永にかけての活躍が知られ、絵本挿絵に筆を揮った。 作品の署名部分に「擅画」あるいは「浪花擅画 ...
2024/11/13
近世上方の風俗画は、江戸の鈴木春信のような存在がなかったこともあって、錦絵の流行は遅れるが、それに代わるように月岡派の肉筆風俗画や版本の挿絵が画壇や出版界に重きをなした。 月岡派の始祖とされる月岡雪鼎 ...
2024/11/13
中村芳中(不明-1819)は、生年は明らかでないが、諸書によると、京都に生まれ、その後大坂に移住し、寛政2年にはすでに大坂で画家として一家を成している。また、寛政6年刊『虚実柳巷方言』には指画(指頭画 ...
2024/11/13
藤井藍田(1816-1865)は、阿波の人で、父が大坂で営んでいた呉服問屋「錦屋」に生まれた。家業を継いだが、文雅の趣があり、画を中井藍江、田能村竹田、書を八木巽処、詩文を広瀬旭荘に学び、早くから家督 ...
2024/11/13
日根対山(1813-1869)は、和泉国日根郡中庄村湊(現在の泉佐野市湊)に生まれ、はじめ岸和田の画人・桃田栄雲に画を学んだ。また、地元湊の豪商・里井浮丘(1799-1866)と交友し、同家が所蔵する ...
2024/11/4
少林(不明-1835)は、大坂の北中島小松村久昌院の住持で「少林山人」とも呼ばれた。紀州の野呂介石に画を学び、介石を通じて池大雅風の南画を学んだと思われる。詳しい経歴は不明だが、文政6年刊『続浪華郷友 ...
2024/11/1
文政中頃から天保にかけての大坂南画壇は、文政7年版『浪加華人物誌』、天保8年版『浪華郷友録』によると、岡熊嶽・琴嶽父子、藤九鸞、森川竹窓、岡田半江、菅井梅関、木村石居、僧愛石、僧風外、春嶽の子鼎金城、 ...
2024/10/30
岡田半江(1782-1846)は、岡田米山人の子として生まれ、幼いころから父に画の手ほどきを受け、はじめ小米と号したが22歳頃に半江と改めた。28歳頃には父同様に津の藤堂藩大坂蔵屋敷に下役として仕えた ...
2024/10/28
天明・寛政期の大坂南画壇は、福原五岳、木村蒹葭堂を中核として若手の画人たちが多数出現した。寛政2年版『浪華郷友録』によると、この頃の南画家としては、岡田米山人をはじめ、福原五岳の二人の子三洞、東岳、浜 ...
2024/10/25
十時梅厓(1749-1804)は、漢学を伊藤東所に、書法を大谷永庵と趙陶斎に、和歌を小沢蘆庵に学び、唐様の書や山水・四君子を得意とした。天明4年頃、陶斎との縁で知り合った伊勢長島藩主・増山雪斎に招かれ ...
2024/10/23
鼎春嶽(1766-1811)は、福原五岳について画を学び、のちに諸流の画法を研究し、多年戸を閉ざして諸家秘蔵の書画を模写して一家を成したという。田能村竹田は『山中人饒舌』と『竹田荘師友画録』で、天満の ...
2024/10/21
岡熊嶽(1762-1833)は、福原五岳の門に学び、のちに諸流派の画法を研究した。山水人物を得意とし、作風は師風をしのばせるが、掲載の「伏見桃畑図」をはじめ同門の林閬苑の作品を臨摸したものに秀作があり ...
2024/10/18
林閬苑(不明-不明)は、福原五岳に学び、さらに堺の豪商宅の明画を臨摸し、写実的でプリミティブな独自の画風を確立したとされる。長崎派風の極彩色による美人画から水墨画まで縦横にこなし、その幅の広い奇矯な作 ...
2024/10/16
浜田杏堂(1766-1814)は、幼くして大坂の医師浜田家の養子となり医業を継いだ。一方で早くから画を好み、福原五岳に師事するとともに元明の山水画や花鳥画を学んで一家を成し、山水花鳥を得意とした。享和 ...