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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/1/15
丸丈斎国広(不明-不明)は、文化から天保年間にかけて作画し、上方浮世絵中期全体にわたって活躍した。江戸の初代歌川豊国(参考)の門人だったと思われるが、画風は江戸の浮世絵というよりも、上方独特の粘り強い ...
2025/1/13
上方の浮世絵師たちは師弟関係などによって、いくつかの小集団を形成していたと思われるが、本名や経歴が分かっている絵師は少なく、その実態はあまり明瞭に分かっていない。そのなかで際立ってまとまりが明らかな一 ...
2025/1/10
寿好堂よし国(不明-不明)は、浅山芦国の門人と思われ、文化年間から天保元年頃までの作画が確認できる。大坂での役者絵版行数が飛躍的に増えていく時期に、春好斎北洲に次ぐ絵師として、戯画堂芦ゆきや丸丈斎国広 ...
2025/1/8
戯画堂芦ゆき(不明-不明)は、はじめ有楽斎長秀に学び、のちに浅山芦国の門人になったとされる。春好斎北洲とともに上方浮世絵中期の前半を支えた代表的絵師のひとりで、文化10年頃から天保6年頃まで活動した。 ...
2025/1/6
流光斎如圭、松好斎半兵衛以後の大坂役者絵は、文化末・文政期、天保期、嘉永・安政期に三分できる。隆盛期となる文化末・文政期を代表する絵師としては、松好斎の門人でのちに葛飾北斎に入門したと思われる春好斎北 ...
2024/12/27
有楽斎長秀(不明-不明)は、京都の人で、寛政年間後期から天保年間後期に活躍した。一時期大坂でも活動し、その際には錦絵も手掛けた。上方浮世絵師としては長い期間の作画が確認できる。画系は不明だが、寛政から ...
2024/12/25
大坂役者絵の特徴である美化や理想化を拒否した写実精神は、翠釜亭によって方向づけられ、流光斎如圭が確立し、流光斎の門人である松好斎半兵衛によって定着された。 松好斎半兵衛(不明-不明)は、師の流光斎と同 ...
2024/12/23
大坂における役者絵本は、安永9年に耳鳥斎が刊行した『絵本水や空』が最初とされるが、江戸ではすでに勝川春章(参考)・一筆斎文調(参考)合作による役者絵本『絵本舞台扇』が刊行されていた。この ...
2024/12/20
耳鳥斎(不明-不明)は、大坂難波橋の近くに住んでいた町人で、酒造業や骨董商を営んでいたと伝わっている。画を好み、安永から寛政年間にかけて作画し、軽妙洒脱な肉筆画を多く残している。絵本類の作も多いが、安 ...
2024/12/18
松川半山(1818or1822-1882)は、大坂立売堀の狂歌師・鬼拉亭力丸の子として生まれた。画は菅松峰に学び、のちに岡田玉山、丹羽桃渓に私淑した。主に版本挿絵を手掛け、多数の著書がある。また、肉筆 ...
2024/12/16
暁鐘成(1793-1860)は、大坂西横堀で代々醤油醸造業を営む和泉屋に生まれた。『金毘羅参詣名所図会』や『西国三十三所名所図会』などの名所図会をはじめ、読本、洒落本、滑稽本から狂歌、随筆まで広範な分 ...
2024/12/13
近世大坂において風景版画が盛んになるのは嘉永・安政期からで、そのきっかけとなったは、諸名所を描きそれに説明文を加えるという「名所図会」の登場だったとされる。最初の「名所図会」は、安永9年に刊行された京 ...
2024/12/11
松本奉時(不明-1800)は、大坂の江戸堀に住み、表具師を生業とした。天明6年に見た瑞夢を契機に、多くの書画を収集して「奉時清玩帖」などの画帖に仕立て、自らも絵筆を執り、蝦蟇図のほか、花卉や山水を描い ...
2024/12/9
玉手棠洲(1795-1871)は、中井藍江に師事し、山水人物を得意とした。常に酒を飲んで泥のようだったといい、そのため酔仙人と称された。住居は転々としていたようで、天保頃は堂島、老松町、嘉永頃は中之島 ...
2024/12/6
林文波(1786-1845)は、はじめ蔀関月に師事し、その後、関月の門人である中井藍江に学んだ。山水花鳥を得意とし、また写生にも力を注ぎ、与謝蕪村を敬愛したという。写生派の画家だが、琳派写しの人物画「 ...
2024/12/4
中井藍江(1766-1830)は、はじめ蔀関月に師事し、のちに自ら雪舟をはじめ中国の李龍眠や牧谿の画を研究し、四条派の写生風も加味して一家を成した。また、中井竹山の門に詩文を学び、余技として茶を嗜んだ ...