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岡山近世画人として最大の存在・浦上玉堂
2021/7/9
岡山ゆかりの近世画人として最大の存在は、浦上玉堂(1745-1820)だろう。玉堂は、もともと鴨方藩の武士だったが、風雅の道を求めて50歳になる年に脱藩した。脱藩の理由は諸説あるが、隠逸を好み、書画を ...
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幕末明治の狩野派、狩野永朝と日置雲外
2021/7/9
幕末から明治にかけて狩野派の系譜を継承した岡山の画家としては、狩野永朝(1831-1900)と日置雲外(1829-1918)がいる。狩野永朝は、京狩野九代狩野永岳の養子で、弘化年間に邑久郡虫明を訪れ、 ...
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美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学
2021/7/9
美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられて ...
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備前岡山藩の狩野派
2021/7/24
備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資料も少ない。それに対 ...
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武人画家・宮本武蔵
2021/7/9
二刀流の剣豪として名高い宮本武蔵(1584-1645)も岡山ゆかりの画人である。「二天」と号して画筆をとり、個性豊かな作品を残している。出生地は美作説のほかに播磨説もあるが、近年の研究によると、播磨に ...
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室町水墨画の最高峰・雪舟
2021/7/9
岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...
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菊池寛と同じ時代を生きた香川の文人
2022/9/9
高松を代表する文豪・菊池寛(1888-1948)は、19歳で郷里高松を離れ上京、やがて小説家・劇作家として文壇で活躍する一方、文藝春秋社を設立、実業家としても成功をおさめた。芥川賞、直木賞を創設したこ ...
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香川の近代洋画
2025/3/27
讃岐は漆工芸品の産地として古くから知られており、この工芸が根付いた地域であったという事情が、美術の発展、作家の育成に大きく関与している。 明治31年、香川では、熟練した工芸技術者を養成するため、納富介 ...
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讃岐漆芸の祖・玉楮象谷
2022/9/3
江戸末期の讃岐漆芸の祖・玉楮象谷(1806-1869)は、幼いころから家業である刀の鞘塗りを父に学び、京都に遊学した際には、多くの文人や芸術家と交流、書画はもとより幅広く美術工芸の分野に接し、従来の職 ...
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讃岐の円山四条派
2022/9/3
讃岐における円山四条派の系譜をみると、まず安芸雲峰の名があげられる。雲峰は寒川郡津田の豪商の家に生まれ、寛政享和年間に活躍した。幼くして円山応挙に画を学び、その技がすぐれていたので、板屋応挙とも言われ ...
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風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち
2022/9/3
松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、魚釣りなど、なんにでもひとかど以上の ...
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詩書画をよくした篆刻家・細川林谷とその周辺
2022/9/3
細川林谷(1780-1843)は、讃岐国寒川町に生まれ、幼いころから阿部良山に篆刻を学んだ。その篆刻は「正雅典則一世に鳴る人皆宇内第一」と称され、頼山陽、篠崎小竹、田能村竹田らが口を極めて賞賛したとさ ...
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讃岐の書聖・後藤漆谷とその周辺
2022/9/3
讃岐の歴史の中で「書聖」と称された人物が二人いる。一人は空海であり、もう一人は後藤漆谷(1749-1831)である。漆谷は高松の豪商の家に生まれ、幼いころから学問を好み、深井鶏林、後藤芝山に師事、20 ...
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京都に出て浦上春琴らに学んだ讃岐の南画家
2022/9/3
京都に出て学んだ讃岐の南画家としては、浦上春琴に学び高弟となった小西松塢をはじめ、春琴門からは、松岡李堂、木村葭郷らが出た。また、田能村竹田に学んだ合葉文山、田能村直入に学び、のちに池田桂仙、河野秋邨 ...
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春木南湖と讃岐の門人
2022/9/3
谷文晁(1763-1840)と並び、「天下の二老」と称された春木南湖(1759-1839)は、伊勢国長島藩主・増山雪斎に抱えられ、その援助で京都、大坂、長崎に遊学しており、その折に讃岐に足を運んだもの ...
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讃岐の南蘋派、三木文柳・亀井東溪・戸塚茗溪
2022/9/3
讃岐の南蘋派画人としては、三木文柳(1716-1799)と亀井東溪(1748-1816)が知られている。文柳は、もと阿波の藩士で、幼いころから画を好み、京都に出て修業し、江戸に出て南蘋派の画人である宋 ...