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岡山の近代南画家、石井金陵・衣笠豪谷・波多野華涯
2025/3/6
上道郡金岡村(岡山市西天寺)に生まれた石井金陵(1842-1926)は、古市金峨や岡本秋暉に学んだのち、岡山市岩田町に画塾を開き多くの門下生を教え、その後、大阪に移り、関西南画壇の長老として活躍した。 ...
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岡山の岸派・矢部楳山
2021/7/9
岡山の岸派としては、玉島に寄寓していた岸派の画人・関石城に学んだ矢部楳山(1849-1911)と小野竹下(1845-1897)がいる。楳山はさらに京都に出て岸連山に師事しており、同門に林玉峰(1830 ...
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四条派から南画に転じた白神暭々と門人
2021/7/9
柴田義董の代表的門人として、終始文人的な作画態度を保持し、晩年には南画に転じた白神暭々(1777-1857)がいる。暭々は、窪屋郡中島村の豪農の家に生まれ、10歳前後で近くに住む黒田綾山の門に入って南 ...
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岡山の四条派普及に大きく貢献した古市金峨と門人たち
2021/7/9
岡本豊彦の内弟子として学んだ古市金峨(1805-1880)は、岡山の四条派普及に大きく貢献した。金峨は児島郡尾原村(倉敷市)に生まれ、17、8歳の時に京都に出て岡本豊彦の門に入った。生家の紺屋にちなん ...
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柴田義董の門人、小野雲鵬と大原呑舟
2021/7/9
柴田義董の岡山の門人としては、小野雲鵬(1796-1856)がいる。雲鵬は備中の生まれで、はじめ黒田綾山に手ほどきを受け、京都に出て同郷の柴田義董の門下となり、義董没後は岸駒にも学んだ。同門に大原呑響 ...
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岡山の四条派、人物の柴田義董と山水の岡本豊彦
2021/7/9
岡山の地からは、二人の円山派の大家が出ている。当時、四条派内で「人物は義董、山水は豊彦」と謳われ、京都の人気を集めた柴田義董(1780-1819)と岡本豊彦(1773-1845)である。義董は邑久郡尻 ...
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幕末の異色の南画家・藤本鉄石
2021/7/9
藤本鉄石(1816-1863)は、備前に生まれ、25歳のときに脱藩して京都に移り住み、やがて尊皇攘夷思想に共鳴し、文久3年、天誅組を組織して総裁となり、大和で倒幕の兵を挙げ、大和十津川で戦死した。一方 ...
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広重版画にも使われた『日本勝地山水奇観』の著者・淵上旭江
2021/7/9
備前に生まれ、諸国を歴遊したのち大坂に定住した淵上旭江(1753-1816)は、各地の名勝を描いた画と詩による版画集『日本勝地山水奇観』を寛政11年に刊行した。同書はのちに歌川広重の名勝版画に利用され ...
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岡山に南画を伝えた讃岐の黒田綾山と肥前の釧雲泉
2021/7/9
岡山に本格的な南画を伝えたのは讃岐の黒田綾山(1755-1814)である。綾山は、福原五岳に学び、人物画を得意とした。安永9年ころに備中玉島に遊び、この土地を愛し、天明5に再来して終生玉島に住んだ。西 ...
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浮世絵師から津山藩御用絵師になった鍬形蕙斎
2021/7/9
江戸の畳職人の家に生まれた鍬形蕙斎(1764-1824)は、浮世絵北尾派の祖・北尾重政の門に入り、17歳の時から北尾政美の名で浮世絵師として活躍していたが、31歳の時に美作国津山藩松平家に召し抱えられ ...
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美作の南画家、広瀬臺山・飯塚竹斎と門人
2021/7/9
美作の南画家としては、広瀬臺山(1751-1813)が代表的存在である。臺山は、津山藩士の子として同藩大坂屋敷に生まれ、16歳から福原五岳に師事して南画の道に入った。29歳で家督を相続したあとは、京都 ...
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浦上春琴と岡山の門人
2021/7/9
父・浦上玉堂が、巧みに描こうとせず、心の動きのままに筆をとり、自らが専門画家であることを恥じて、それを拒否していたのとは対照的に、子の浦上春琴(1779-1846)は、如才のない文人らしからぬ文人だっ ...
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岡山近世画人として最大の存在・浦上玉堂
2021/7/9
岡山ゆかりの近世画人として最大の存在は、浦上玉堂(1745-1820)だろう。玉堂は、もともと鴨方藩の武士だったが、風雅の道を求めて50歳になる年に脱藩した。脱藩の理由は諸説あるが、隠逸を好み、書画を ...
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幕末明治の狩野派、狩野永朝と日置雲外
2021/7/9
幕末から明治にかけて狩野派の系譜を継承した岡山の画家としては、狩野永朝(1831-1900)と日置雲外(1829-1918)がいる。狩野永朝は、京狩野九代狩野永岳の養子で、弘化年間に邑久郡虫明を訪れ、 ...
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美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学
2021/7/9
美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられて ...
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備前岡山藩の狩野派
2021/7/24
備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資料も少ない。それに対 ...