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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/9
下関に生まれ早い時期に神戸に移り住んだ長谷川三郎(1906-1957)は、東京帝国大学美術史学科卒業後にアメリカ、ヨーロッパを遊学、帰国して本格的な画家活動を開始するとともに、美術雑誌に画論や評論文を ...
2021/7/9
明治維新に関わった薩摩、肥前からは日本の近代洋画の初期から形成期にかけて多くの重要な洋画家が出ているが、薩摩とともに明治政府を主導した長州からは、主だった洋画家が出ていない。長州で最も早く油彩画に関わ ...
2021/7/9
松林桂月(1876-1963)は、渡辺崋山や椿椿山の系流につながる野口幽谷に師事し、江戸期以来の崋椿系南画の系統を受け継ぎながらも、近代における南画の有り様を模索し続けた。文展開設後は、大会場に見合う ...
2021/7/9
光市にある早長八幡宮で神官をつとめていた大楽桃白(1884-1953)は、定まった師もなく、南画、北画なんでも描くという巧者だった。絵画論に関しても一家言あり、俳句、和歌、古美術、郷土史などにも通じ、 ...
2025/2/24
竹田系作品鑑定の第一人者としても知られた田中柏陰(1866-1934)は、静岡の漆器商の家に生まれ、17歳で京都に出て田能村直入に師事、竹田・直入の画風を受け継ぎ、濃彩の山水画を得意とした。禅にも興味 ...
2021/7/9
萩藩医の家に生まれた高島北海(1850-1931)は、幼いころから画を好み、雪舟や渡辺崋山の画法を研究した。また、西欧文化の影響を受けてフランス語の勉強を志し、地理学の研究もはじめた。28歳の時に内務 ...
2021/7/9
江陵岸賢(不明-1825)は、下関出身でもっとも古い画家とされ、岸賢、岸規、岸明と三代続く下関岸家三代の祖として知られる。「岸」を名乗ったのは、京都の岸派を学んだためで、子の岸規、孫の岸明は、それぞれ ...
2024/12/14
萩藩士の子として生まれた森寛斎(1814-1894)は、幼年期に、四条派や岸派の画風を学んだと思われる画家・大田龍について画を学び、18歳になると、上坂する藩士に随行し、森徹山に入門したが、事情により ...
2021/7/9
大庭学僊(1820-1899)は、徳山に生まれ、11歳の時に徳山藩御用絵師・朝倉南陵に師事、18歳の時に京都に出て、下関出身の小田海僊のもとで画技をみがき、海僊の養子となった。学僊は、師の小田海僊がた ...
2021/7/9
周防国富海に生まれた小田海僊(1785-1862)は、京都に出て四条派の松村呉春に学び、松村景文や岡本豊彦と名声を競ったが、頼山陽から絵に品格がないと指摘されたことから、学問を積み、中国の元・明の古画 ...
2021/7/9
朝倉家は五代続いた周防徳山藩御用絵師の家系で、朝倉南陵(1757-1844)はその四代にあたる。初代繁経は、表具師として徳山藩に召し抱えられ、雲谷派の雲谷等恕に学んで、等収を名乗った。繁経の長男である ...
2021/7/9
矢野括山(1780-1845)は、周防・長門における南画の祖とされ、画のほかに書や篆刻も巧みで、岡田半江、浦上春琴、小田海僊、貫名海屋、田能村竹田ら南画家と広く交流、防長の地に南画を根付かせた。門人に ...
2021/7/9
萩藩の儒者・佐々木縮往(1648-1733)は藩医の家の生まれ、経学文章を学びながら、中国明画を研究し独自の画風を確立した。儒者としてよりも画人として知られ、幕府の儒者・荻生徂徠(1666-1728) ...
2024/12/11
江戸末期から明治期にかけて、伝統的な狩野派に西洋画の技法を取り入れ、新しい日本画の創造に情熱を注いだ狩野芳崖(1828-1888)は、長府藩御用絵師の家系に生まれた。長府藩狩野家の祖は、毛利綱元に江戸 ...
2021/7/9
長府藩では、笹山家のほかに諸葛家が御用絵師をつとめた。諸葛家初代の諸葛函溪(1780-1848)は、狩野陽信の養子になったが、のちに陽信に実子の狩野晴皐が生まれたため、家を出て新たに諸葛家をおこした。 ...
2021/7/9
近世の周防・長門国では、強固な流派体制を誇った雲谷派が幕末まで続いたが、狩野派も各藩で御用絵師をつとめ、多くの絵師を輩出している。長府藩においては、狩野芳崖の父である狩野晴皐、のちに明治の教育者として ...