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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/3/27
下村為山「柳蔭釣人図」 洋画の黎明期にあって、愛媛出身の洋画の先達としては、下村為山と中川八郎があげられる。当時は、洋画の技法を修得するには上京して画塾などで指導を受けるしかなく、下村為山(1865- ...
2021/7/9
高橋周桑「文楽吉田栄三」 明治も20年代になると、岡倉天心、フェノロサらの提唱により東京美術学校が開設され、日本美術院が創立されるなど、「新日本画」を標榜する革新運動が活発になっていった。京都における ...
2025/2/24
林涛光 左:「石槌画賛」賛:半井梧菴、右:「面白の滝画賛」賛:半井梧菴 吉田蔵澤(1722-1802)やその門人たちによって確立されていった伊予南画は、しだいに広がりを見せる。小松藩絵師となった森田南 ...
2021/7/9
三好藍石「讃岐小豆島寒霞渓秋景之図」 天野方壺の登場で全盛を迎える伊予南画だが、伊予画壇において方壺と双璧と謳われたのが続木君樵(1835-1883)である。君樵は庄屋の家系に生まれ、幼いころから書画 ...
2021/7/9
天野方壺「興居島古和田山海之図」 幕末から明治初期にかけて活躍した伊予出身の南画家に、天野方壺(1824-1895)がいる。その生涯はほとんど不明確だが、諸々の資料をつなぎ合わせると、はじめ三津の四条 ...
2021/7/9
吉田蔵澤 左:風竹、右:墨竹 伊予南画の先駆的な存在としては吉田蔵澤(1722-1802)があげられる。蔵澤が長崎南画との出会いによって墨竹を始めたころは、ちょうど池大雅や与謝蕪村らによる日本南画の黎 ...
2021/7/9
左:松本仙挙「鬼ケ城山之図」、右:河崎蘭香「東台の春」 森田樵眠によって伝えられた円山四条派の流れは、伊予の地に広まっていった。東宇和郡野村町に生まれた松本仙挙(1880-1932)は、京都市立美術工 ...
2021/7/9
山本雲渓の活躍期に重なるように現れたのが、松山三津の町絵師・森田樵眠(1795-1872)である。樵眠については詳しい経歴は伝わっていないが、京都に出て岡本豊彦の門で学び、伊予の地に四条派の画風を初め ...
2021/7/9
沖冠岳 左:流水響空図、右:猛虎之図 今治に生まれ山本雲渓の手ほどきを受けて絵画に目覚めた沖冠岳(1817-1876)は、京都に出て岸駒の門に入り画を学び、その後江戸に出て谷文晁や渡辺崋山らと交わり、 ...
2021/7/9
左:山本雲渓「五匹猿図」、右:大内蘚圃「群猿」 藩の絵師として全盛を極めた狩野派や住吉派にかわり、江戸後期から末期にかけて新しい画境を切り開いたのは、長崎系南画の流れや円山派だった。今治藩の山本雲渓( ...
2021/7/9
宇和島の豆腐屋の家に生まれた村上天心(1877-1953)は、幼くして父親と死別し、学校で学ぶ機会を得られなかったが、独学で各派の画法を学んだ。さらに、様々な師を求めて、禅、彫刻、仏典、儒学、漢字など ...
2021/7/9
宇和島を中心とする南予地方は、松山を中心とする中予地方とは高い山々でへだてられおり、むしろ九州との海上交流のほうが盛んで、県内でも固有の気風・文化をはぐくんできた。さらに、慶長19年からは仙台藩主・伊 ...
2021/7/9
遠藤広古「月に雁図」 江戸の狩野派は武家社会に受け入れられ、日本各地で絶大な勢力を誇った。伊予松山藩においても、初代の松本山雪から明治にいたるまで、代々狩野派が御用絵師を引き継いでいたが、その途中で、 ...
2021/7/9
文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で ...
2022/9/5
小林西台「花鳥之図」 木挽町狩野の流れは伊予の地に急速に広がり、大洲藩にやや遅れて西条藩からは小林西台(1794-1854)が出た。西台は、大洲藩の若宮養徳(1754頃-1834)と同じ木挽町狩野の門 ...
2022/9/5
加藤泰恒・文麗親子から引き継がれた木挽町狩野の流れは、木挽町狩野七代・狩野養川院惟信に学んだ大洲藩絵師・若宮養徳と、その門人たちによって、伊予大洲の地に伝えられた。かれらの絵画は大洲藩主ゆかりの如法寺 ...
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