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終生日本画の近代化に尽くした寺崎広業
2024/12/11
秋田に生まれた寺崎広業(1866-1919)は、はじめ郷里の狩野派・小室怡々斎に師事し、ついで角館出身で東京に出ていた四条派の平福穂庵の勧めで上京し穂庵に師事、穂庵の帰郷後も東京に残り、東陽堂の美術雑 ...
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秋田の近代日本画の礎を築いた小室怡々斎
2021/7/6
小室怡々斎(1837-1900)は、秋田藩御用絵師の津村洞養に学び、狩野派ではあるが容斎派の前賢故実などを研究し、人物背景、調度などは粉本によらず、研究して描いていたという。廃藩後は一時役人になったが ...
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藩御用絵師から初期秋田画壇の中心人物になった津村洞養
2021/7/6
津村洞養(1834-1905)は、祖父、父と続いた秋田藩御用絵師の家に生まれ、はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、狩野洞白に学び、さらに河鍋暁斎について本格的に絵の修業し、藩御用絵師を継い ...
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秋田の円山四条派・平福穂庵門の三羽ガラス
2021/7/6
秋田の円山四条派としては、長山孔寅、川口月嶺、柴田南谷、平福穂庵を中心に、多くの画家たちが出ており、寺崎広業、平福百穂も画系からみれば、この流派に属する。 角館の呉服屋に生まれた辻九皐は、小学校を卒業 ...
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写生を重んじ、中央画壇でも活躍した平福穂庵
2021/7/6
角館に生まれた平福穂庵は、幼いころから郷里の四条派の画家・武村文海に学び、16歳の時に京都に遊学、特定の師につかず社寺に伝わる古画の模写や風物写生により画技の研鑽につとめた。22歳で帰郷し、家業の染物 ...
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角館に四条派を移入した武村文海
2021/7/6
秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷や川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を受けていると思わ ...
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横手の円山四条派・柴田南谷、楳溪、松谷の三代
2021/7/6
大坂画壇での長山孔寅の活躍は、秋田で四条派が普及する導火線になったと思われるが、系統として円山四条派の絵画を秋田藩内に広めたのは、江戸で学んだ横手の柴田南谷らとされる。 柴田南谷(1802-1873) ...
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呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅
2021/7/6
秋田出身の四条派の初期画人としては、京都に出て呉春に学び、のちに大坂画壇で活躍した長山孔寅(1765-1849)がいる。孔寅は、12歳で角館の酒屋・久田屋に奉公し、のちに秋田の那波呉服店につとめた。孔 ...
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人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄
2021/7/6
三河国で生まれた菅江真澄(1754-1829)は、30歳の時に故郷を離れ、信濃、越後、蝦夷地、下北、津軽、秋田と歩き、その人生の大半を旅に暮らした。はじめは白井英二、秀超、秀雄などと称していたが、48 ...
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人生の大半を旅に費やした本荘藩御用絵師・増田九木
2021/7/6
由利・本荘地方は、本荘狩野といわれる独自の絵画圏をつくり、狩野派が大きな勢力を持っていたが、谷文晁系の南画を学んだ増田九木は、長い旅の末に広く画名をあげ、帰郷後には藩御用絵師として活躍した。 増田九木 ...
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本荘市永泉寺山門に「天女」を描いた4人の絵師
2021/7/6
本荘市の永泉寺山門は、本荘藩最後の藩主・六郷政鑑の時代に、永泉寺六世義門達宣の発願によって3年の歳月をかけて慶応元年に完成したもので、昭和43年に秋田県有形文化財に指定されている。山門の楼上には、本荘 ...
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大地震で隆起する前の「象潟」を描いた本荘画工の始祖・牧野永昌
2021/7/6
本荘藩御用絵師の初代である牧野永昌(1747-1823)は、秋田狩野の祖とされる狩野定信とは別系統に属する狩野派の絵師で、いわゆる本荘画工といわれる一連の画人の始祖である。はじめ藩の絵師に手ほどきを受 ...
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秋田藩江戸定居の御用絵師・狩野秀水と菅原洞斎
2021/7/6
藩政時代の秋田藩御用絵師は、秋田狩野派の祖とされる狩野定信の画系が代々つとめていたが、その系列とは別に第9代秋田藩主・佐竹義和の時、狩野秀水(不明-不明)が江戸定居の御用絵師となり、秋田の年中行事を記 ...
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横手の南蘋派・佐々木原善と戸村後草園
2021/7/6
秋田に最もはやく南蘋派の画法を伝えたのは、横手の佐々木原善(不明-不明)とされる。原善は横手城代の戸村義敬・義通(後草園)親子をパトロンとし、安永年間に江戸に出て松林山人について学び、さらに長崎に行き ...
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秋田蘭画を受け継ぎ江戸系洋風画へと展開させた司馬江漢
2021/7/6
秋田蘭画は、小田野直武、佐竹曙山を中心に盛り上がりをみせたが、安永8年、直武に西洋画法を伝授した平賀源内の死去にはじまり、翌年には直武が、その5年後には曙山も死去し、創始に関わった人物の相次ぐ死により ...
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秋田蘭画の画家たち
2021/7/6
秋田蘭画の画家としては、平賀源内に西洋画法を伝授された小田野直武と、直武から画法を学んだ秋田藩主・佐竹曙山を中心に、直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬、直武とともに源内から直接学んだとされる田代 ...