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崋山・椿山の画風を継いだ最後のひと・白井烟嵓
2022/8/15
白井烟嵓「雨後」 従兄の白井永川から南画の手ほどきを受けた白井烟嵓は、その後上京して崋椿系南画の流れを汲む松林桂月に学び、戦前・戦後を通じて中央画壇で活躍した。平成14年には田原市博物館で「崋山・椿山 ...
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小華が去った後の豊橋画壇
2022/8/15
左:夏目泰果「鳳来寺山之図」、右:白井永川「孔雀図」 明治15年に渡辺小華が上京した後の豊橋画壇は、小華の直弟子である大河戸晩翠、森田緑雲、植田衣洲らが引き継いで盛り立てた。曲尺手町の呉服屋「八星」で ...
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東三河における小華門(2)
2022/8/15
大河戸晩翠「秋窓清供図」 大河戸晩翠(1845-1921)おおこうど・ばんすい 弘化2年2月12日吉田指笠町生まれ。真宗高田派願成寺の住職・福沢諦聞の四男。名は挺秀、幼名は霊台、字は守節。別号に梅笠、 ...
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東三河における小華門(1)
2022/8/16
渡辺小華「花鳥図」 明治7年に渡辺小華が豊橋に移り住み、従来の石峰・文笠一門であった画家たちも南画一色となり、小華門は最盛期を迎える。小華門下では、遠江の山下青厓、豊橋の深井清華、大河戸晩翠、稲田耕山 ...
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崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)
2022/8/12
鈴木拳山「竹鶏図」 鈴木拳山(1842-1915)すずき・きょざん 天保13年宝飯郡下地村(現在の豊橋市)生まれ。名は潜、字は子龍。前号に龍雨または成道がある。嘉永5年頃から稲田文笠の門で学び、のちに ...
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崋椿系が根付く前の東三河画壇(1)
2022/8/12
左:恩田石峰「西王母図」、右:稲田文笠「寿帯鳥図」 後に絶大な勢力となる崋椿系が根付く前の東三河では、円山・四條派を学んだ恩田石峰や原田圭岳、そして谷文晁に学んだ稲田文笠らが中心的な画人だった。ほかに ...
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東三河随一の画人・太田山陰
2022/8/12
太田山陰「五百羅漢尊像」 江戸中期に赤坂(現在の豊川市)で活躍した太田山陰は、当時、東海道第一の画人と称されており、東三画人伝には「文化・文政以前における東三河地方随一の画家は山陰であろう」と記されて ...
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近世の東三河画人
2022/8/12
大須賀鬼卵「騎馬武者図」 江戸前期の東三河画人としては、元禄年間に久世出雲守が吉田藩主だった頃にお抱え絵師として横田養休がいた。抱六町辺(現在の花園町付近)に住んでいたと言われ、喜見寺のや吉田神社の絵 ...
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大正から昭和初めにかけての遠州画人
2021/7/10
前田靄斎「青緑山水図」 大正から昭和初めにかけて、山下青厓ら崋椿の流れをくむ渡辺小華門下をはじめ、遠州に縁のあった川村雨谷門下や、松林桂月門下、小室翠雲門下、竹内栖鳳門下など様々な師系の日本画家が活躍 ...
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遠州における岸派
2022/8/9
遠江において岸派を学んだものは、石川晶斎、宮本龍嶺、駿河に柴田泰山がいる。画派としては南画におされて振るわず、極少数派であった。岸駒に学んだものに巫山がいるが、その経歴は不明である。この時期の南画以外 ...