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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2024/9/18
葛野宜春斎(1771-1819)は、摂州池田(現在の大阪府池田市)の酒造業の家に生まれ、その頃池田に寓居していた呉春に師事した。呉春に学んだ期間は短かったと思われるが、のちに応挙画風を加味した作品を残 ...
2024/9/16
上田耕夫(1759-1831or1832)は、摂州池田の人で長く京都に住み、文政後半頃に家族とともに大坂に引っ越したと思われる。京都に出たのは叔父の大徳寺無学和尚に学問を教わるためだった可能性が高い。 ...
2024/9/13
近世大坂画壇で森派の森徹山と同時期に活躍した写生派の画家としては、四条派の長山孔寅がいる。孔寅は秋田の人で、京都に出て呉春に画を学びその後大坂に移った。田能村竹田にその写実性を賞賛されたといい、竹田の ...
2024/9/11
森二鳳(1818-1891)の生涯は不明な点が多いが、森一鳳に学んだと思われる。商売繁盛を意味する滑稽な「稲荷狐図」(掲載作品)や、人間臭い「鶴図」を描くなど、大坂らしい図様を用いていることなどから、 ...
2024/9/11
森派二代目となった森徹山には4人の実子がいたが、男子2人は妻の実家である京仏師田中家の養子となり森家は継がず、門人の森一鳳(1798-1871)が、娘2人のうちのひとり柳の婿養子となり三代目を継いだ。 ...
2024/9/6
森狙仙の門人としては、養子となって森派二代目を継いだ森徹山をはじめ、花卉翎毛を得意とした高弟・森春溪、森周峰の実子で狙仙に学んだと思われる森祖雪、森玉仙、金田芦江、鎌田巌松らがいる。 鎌田巌松(179 ...
2024/12/14
森派の基礎を築いた森狙仙には雄仙という実子がいたが、なぜか雄仙は兄周峰の養子となり、その代わりに周峰の実子徹山が狙仙の養子となり森派を継いだ。徹山が16歳だった寛政2年に刊行された『浪華郷友録』にはす ...
2024/9/2
森狙仙(1747-1821)は、森如閑斎の三男として生まれた。兄に森陽信、周峰がいる。経歴は不明な点が多く、出生地に関しては主な活動地である大坂説のほか、西宮説、長崎説があり、生年に関しても延享4年の ...
2024/11/13
森周峰(1738-1823)は、吉村周山の門人で、禁裏絵師にも名を連ね、同門の吉村周圭らと同時期に活躍した。絵師と伝わっている森如閑斎の二男で、兄に森陽信が、弟に森狙仙がいる。はじめ父に画の手ほどきを ...
2024/8/28
吉村周山の門人としては、子の吉村周圭をはじめ、法橋如興、花沢喜内、吉村周保、浦名周楽、筒井周川、中西周挙、法眼周篤、宮原周熊、大井周伯、曽根周岳、森周峰、宇野丹寿、村上周青、花岡周七、法眼保光斎、田島 ...
2024/8/26
近世の大坂画壇では、橘守国の橘派、大岡春卜の大岡派とともに、吉村周山の吉村派が活躍した。吉村派の祖・吉村周山(1700-1773)は、狩野派の牲川充信に学び、狩野派の骨法を墨守して大画制作に取り組み、 ...
2024/8/23
大岡春卜の跡を継ぎ、大岡派と称された画人としては、幼いころから春卜に学び画才を認められて養嗣子となった大岡春川をはじめ、江阿弥と号した大岡春卜、須賀蘭林斎、春川の長男・嘯川らがいる。 江阿弥(1693 ...
2024/8/21
橘守国と前後して出た大岡春卜(1680-1763)も、享保5年出版の『画本手鑑』をはじめ、多くの絵本類を手掛けるとともに、広域にわたって作品を残している。 特定の師をもたなかったとされるが、『画本手鑑 ...
2024/12/11
近世大坂画壇の胎動期、狩野派系の画家たちがその形成に大きな役割を果たした。主は画家としては、橘守国、小柴守直、牲川充信らがおり、彼らはみな狩野探幽門下の鶴沢探山の門人で、なかでも橘守国(1679-17 ...
2024/8/9
昭和16年、奈良洋画会、東台会、奈良美術家連盟の3団体が統合して奈良県美術協会が結成され、第1回展が開催された。これにより奈良の美術界がひとつにまとまった。協会には、日本画、洋画、彫塑、工芸の各部が設 ...
2024/8/7
野沢寛(1908-2001)は、奈良県大和高田市に生まれ、大阪美術学校で学んだ。在学中から槐樹社展、大阪市展などに出品し、卒業後は東光展に出品し受賞を重ねて会員となり、文展にも入選した。戦後は、東光展 ...