- UAG美術家研究所HOME >
- yuagariart
yuagariart
江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/10/15
如拙(不明-不明)は、室町時代前半に活躍した相国寺系の画僧で、室町期の水墨画に新様式を導入し、近世絵画への道程を導いていったとされる。その経歴はよく分かっていないが、のちに雪舟が師のひとりにあげ、狩野 ...
2025/10/13
平安後期に藤原隆信・信実父子によって確立された肖像画様式「似絵」は、鎌倉時代には大流行し、信実の子・専阿弥陀仏は似絵の技法により「親鸞聖人像(鏡御影)」を描き、同じく醍醐寺の信海は、白描図像を得意とし ...
2025/10/10
宅磨派は、平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した絵仏師の一派で、従来の仏画の伝統に基づきながら宋画の様式を取り入れ、仏画に新風を吹き込んだとされる。宅磨派の「たくま」は、宅磨をはじめ、詫磨、宅間、 ...
2025/10/8
巨勢派は、巨勢金岡を祖とする絵師の家系で、代々宮廷の絵所の中心的位置を占め、やまと絵の発展に重要な役割を果たした。鎌倉時代に入ると京都を離れ、南都(奈良)の興福寺で絵仏師として活動したため、京都での巨 ...
2025/10/6
夢窓疎石(1275-1351)は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した臨済宗の僧で、諸寺を歴任したのち、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏・直義の依頼を受けて京都・天龍寺を開山した。禅的教養のもとで、詩文、書、作庭 ...
2025/10/3
愚渓右慧(不明-不明)は、義堂周信や鉄舟徳済のもとで修行した画僧で、義堂の日記や語録にもしばしば登場する。また、応安8年に上洛していることが判明している。現在知られている作品は10点ほどだが、道釈、花 ...
2025/10/1
京都・東福寺の画僧・吉山明兆は、工房的な組織を率いていたと思われ、画技の弟子として霊彩、赤脚子、一之、鎌倉の仲安真康らの名が知られている。 弟子のひとりと目される霊彩(不明-不明)は、詳しい伝記はほと ...
2025/9/30
吉山明兆(1352-1431)は、淡路島に生まれ、淡路の安国寺に住んでいた東福寺派の禅僧・大道一以に修行僧として入信し、のちに師を追って京都・東福寺に入った。同寺では大道および同派の性海霊見の庇護のも ...
2025/9/26
良全(不明-不明)は、鎌倉時代から南北朝時代に活動した画僧で、款記には「良詮」と記した作例もある。「海西人全集筆」の款記が知られることから、海西の人すなわち九州出身の可能性が高いと思われる。複数の作例 ...
2025/9/24
蘭の花は、山中にひっそりと咲く高貴な花として隠逸や優れた人徳の象徴とされ、中国・北宋時代末期から文人画の画題として好まれるようになり、南宋から元時代にかけて広く流行した。当時の中国の禅僧たちのなかにも ...
2025/9/22
可翁とともに日本の初期水墨画を代表する画人として、鎌倉末期に中国(元)に渡り、彼の地で客死した禅僧・黙庵(不明-不明)がいる。その画才は、中国の一流絵師にも劣らないといわれ、牧谿の再来とも称されたとい ...
2025/9/19
可翁(不明-不明)は、日本の初期水墨画を代表する画人とされ、如拙や周文、雪舟に先立つ存在として名高いが、その経歴は不明である。宅磨派の絵仏師とする説や、中国に渡り後に南禅寺18世住持となった「可翁宗然 ...
2025/9/17
「春日権現験記絵巻」は、藤原氏の氏神である奈良・春日大社の霊験を題材にした全20巻の絵巻で、鎌倉時代末期の制作だが、平安時代以来のやまと絵の伝統を集大成する作品と位置付けられている。絹地を使ったぜいた ...
2025/9/15
「一遍聖絵」は、時宗の開祖・一遍上人の生涯と布教活動を描いた絵巻で、全12巻からなっている。絹地を用いたぜいたくなつくりで、異母弟といわれる聖戒が発起し、一遍の没後10年目の正安元年(1299)に完成 ...
2025/9/12
「明恵上人像」は、鎌倉時代の華厳宗の僧で高山寺を再興したことで知られる明恵を描いたもので、明恵の弟子である画僧・成忍の筆と伝わっている。成忍は、長く明恵のそばにいたため明恵をよく理解していたと思われ、 ...
2025/9/10
「聖徳太子絵伝」は聖徳太子の生涯と功績を絵画化したもので、その制作には、古代から天王寺がひとつの拠点として存在したことがわかっており、記録上では、すでに宝亀2年(771)に四天王寺絵堂に聖徳太子絵伝障 ...