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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

越前曾我派が代々名乗ったとみられる「曾我蛇足」

2025/11/12  

京都・真珠庵の襖絵で知られる曾我蛇足は、越前曾我派の祖で周文に画を学んだ墨溪の別号として伝わっていたが、制作年代などから襖絵を描いたのは曾我派2代の宗丈という説が有力となり、曾我蛇足という画名も個人の ...

相阿弥に学んだと伝わる単庵智伝

2025/11/10  

単庵智伝(不明-不明)については、長谷川等伯著『等伯画説』の記述が唯一の手掛かりで、それによると、尼崎の器物の下絵付師の出身で、相阿弥に望まれて弟子になったとされ、相阿弥のもとへ修行に出る時、絵の手本 ...

東山文化の中心的存在として活躍した相阿弥

2025/11/7  

相阿弥(不明-1525)は、父・芸阿弥の跡を継ぎ、八代将軍・足利義政に同朋衆として仕え、歴代将軍の蒐集品を管理・鑑定する唐物奉行をつとめた。一方で、画事、連歌、作庭、生花、香道など諸芸に才能を発揮する ...

能阿弥の跡を継いで足利義政に仕えた芸阿弥

2025/11/5  

芸阿弥(1431-1485)は、父・能阿弥の跡を継いで足利義政に仕え、連歌、表装、座敷飾、画事といった幅広い分野で幕府の御用をつとめた。画事においては、将軍家が所蔵する中国・宋時代の画院画家・夏珪の山 ...

将軍家所蔵の美術品を管理し阿弥派を形成した能阿弥

2025/11/3  

日本における初期の水墨画は、黙庵、可翁、良全、鉄舟、梵芳、愚渓らが中国の絵画様式をもとに日本的なものを模索し、15世紀に入ると京都五山の禅僧たちがその中心的役割を果たした。東福寺では明兆、および明兆一 ...

雪舟を通して牧谿を学んだと思われる周耕

2025/10/31  

13世紀後半の中国の画僧・牧谿が描くテナガザルは「牧谿猿」と呼ばれ、日本では室町時代から桃山時代にかけて流行した。数多くの画人が牧谿を模して猿を描いており、雪舟等楊、秋月等観、式部輝忠、土岐洞文、雪村 ...

京都を離れ中国や日本各地を巡った雪舟

2025/10/29  

雪舟等楊(1420-1502)は、備中(現在の岡山県)に生まれ、少年時代は故郷に近い井山の宝福寺に入って小僧になったと伝わっている。涙でネズミを描いたという有名な伝説も、この寺での逸話となっている。そ ...

周文最晩年の弟子と思われる岳翁蔵丘

2025/10/27  

岳翁蔵丘(不明-不明)は、とくに京都・東福寺の了庵桂悟と親交を持った僧で、周文の弟子と伝わっている。年代の推測しうる作例は文明年間以降のもので、その後少なくとも永正年間まで活動したと考えられるので、周 ...

周文の弟子のひとりとされる天遊松谿

2025/10/24  

天遊松谿(不明-不明)は、周文の弟子のひとりで、永享頃に活躍したという以外の伝歴は不明である。周文の弟子には俗人も含まれていたことから、禅僧だったかどうかも定かではない。「天遊」と「松谿」は2つとも号 ...

周文派の画人と思われる文清

2025/10/22  

文清(不明-不明)は、15世紀中頃の画人で、周文派のひとりと思われるが、経歴は不明である。大徳寺に「養叟宗頤像」などを残していることから、養叟の門下だったと考えられている一方、朝鮮に渡って画技を広めた ...

周文を跡を継ぎ足利将軍家の絵師をつとめた小栗宗湛

2025/10/20  

小栗宗湛(1413-1481)は、室町時代中期の画僧で、相国寺の周文に水墨画を学び、周文の後を継いで足利将軍家の御用絵師をつとめた。文献的には寛正3年『蔭凉軒日録』に初めて小栗氏として登場し、やがて出 ...

京都・相国寺で如拙に画を学んだとされる周文

2025/10/17  

周文(不明-不明)は、京都・相国寺の僧で、同じく同寺にいた如拙に画を学んだと思われる。足利将軍と関係が深く、足利政権下の官学的なアカデミーの形成に、師の如拙とともに重要な役割を果たしたと思われる。 画 ...

「日本漢画の祖」とされる京都相国寺の画僧・如拙

2025/10/15  

如拙(不明-不明)は、室町時代前半に活躍した相国寺系の画僧で、室町期の水墨画に新様式を導入し、近世絵画への道程を導いていったとされる。その経歴はよく分かっていないが、のちに雪舟が師のひとりにあげ、狩野 ...

似絵画家の家系の掉尾を飾った豪信

2025/10/13  

平安後期に藤原隆信・信実父子によって確立された肖像画様式「似絵」は、鎌倉時代には大流行し、信実の子・専阿弥陀仏は似絵の技法により「親鸞聖人像(鏡御影)」を描き、同じく醍醐寺の信海は、白描図像を得意とし ...

京都宅磨派最後の絵仏師とされる詫磨栄賀

2025/10/10  

宅磨派は、平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した絵仏師の一派で、従来の仏画の伝統に基づきながら宋画の様式を取り入れ、仏画に新風を吹き込んだとされる。宅磨派の「たくま」は、宅磨をはじめ、詫磨、宅間、 ...

京都巨勢派の最後の絵仏師・巨勢行忠

2025/10/8  

巨勢派は、巨勢金岡を祖とする絵師の家系で、代々宮廷の絵所の中心的位置を占め、やまと絵の発展に重要な役割を果たした。鎌倉時代に入ると京都を離れ、南都(奈良)の興福寺で絵仏師として活動したため、京都での巨 ...