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京都を離れ中国や日本各地を巡った雪舟
2025/10/29
雪舟等楊(1420-1502)は、備中(現在の岡山県)に生まれ、少年時代は故郷に近い井山の宝福寺に入って小僧になったと伝わっている。涙でネズミを描いたという有名な伝説も、この寺での逸話となっている。そ ...
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周文最晩年の弟子と思われる岳翁蔵丘
2025/10/27
岳翁蔵丘(不明-不明)は、とくに京都・東福寺の了庵桂悟と親交を持った僧で、周文の弟子と伝わっている。年代の推測しうる作例は文明年間以降のもので、その後少なくとも永正年間まで活動したと考えられるので、周 ...
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周文の弟子のひとりとされる天遊松谿
2025/10/24
天遊松谿(不明-不明)は、周文の弟子のひとりで、永享頃に活躍したという以外の伝歴は不明である。周文の弟子には俗人も含まれていたことから、禅僧だったかどうかも定かではない。「天遊」と「松谿」は2つとも号 ...
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周文派の画人と思われる文清
2025/10/22
文清(不明-不明)は、15世紀中頃の画人で、周文派のひとりと思われるが、経歴は不明である。大徳寺に「養叟宗頤像」などを残していることから、養叟の門下だったと考えられている一方、朝鮮に渡って画技を広めた ...
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周文を跡を継ぎ足利将軍家の絵師をつとめた小栗宗湛
2025/10/20
小栗宗湛(1413-1481)は、室町時代中期の画僧で、相国寺の周文に水墨画を学び、周文の後を継いで足利将軍家の御用絵師をつとめた。文献的には寛正3年『蔭凉軒日録』に初めて小栗氏として登場し、やがて出 ...
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京都・相国寺で如拙に画を学んだとされる周文
2025/10/17
周文(不明-不明)は、京都・相国寺の僧で、同じく同寺にいた如拙に画を学んだと思われる。足利将軍と関係が深く、足利政権下の官学的なアカデミーの形成に、師の如拙とともに重要な役割を果たしたと思われる。 画 ...
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「日本漢画の祖」とされる京都相国寺の画僧・如拙
2025/10/15
如拙(不明-不明)は、室町時代前半に活躍した相国寺系の画僧で、室町期の水墨画に新様式を導入し、近世絵画への道程を導いていったとされる。その経歴はよく分かっていないが、のちに雪舟が師のひとりにあげ、狩野 ...
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似絵画家の家系の掉尾を飾った豪信
2025/10/13
平安後期に藤原隆信・信実父子によって確立された肖像画様式「似絵」は、鎌倉時代には大流行し、信実の子・専阿弥陀仏は似絵の技法により「親鸞聖人像(鏡御影)」を描き、同じく醍醐寺の信海は、白描図像を得意とし ...
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京都宅磨派最後の絵仏師とされる詫磨栄賀
2025/10/10
宅磨派は、平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した絵仏師の一派で、従来の仏画の伝統に基づきながら宋画の様式を取り入れ、仏画に新風を吹き込んだとされる。宅磨派の「たくま」は、宅磨をはじめ、詫磨、宅間、 ...
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京都巨勢派の最後の絵仏師・巨勢行忠
2025/10/8
巨勢派は、巨勢金岡を祖とする絵師の家系で、代々宮廷の絵所の中心的位置を占め、やまと絵の発展に重要な役割を果たした。鎌倉時代に入ると京都を離れ、南都(奈良)の興福寺で絵仏師として活動したため、京都での巨 ...
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京都・天龍寺の「夢窓疎石像」を描いた無等周位
2025/10/6
夢窓疎石(1275-1351)は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した臨済宗の僧で、諸寺を歴任したのち、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏・直義の依頼を受けて京都・天龍寺を開山した。禅的教養のもとで、詩文、書、作庭 ...
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義堂周信や鉄舟徳済のもとで修行した愚渓右慧
2025/10/3
愚渓右慧(不明-不明)は、義堂周信や鉄舟徳済のもとで修行した画僧で、義堂の日記や語録にもしばしば登場する。また、応安8年に上洛していることが判明している。現在知られている作品は10点ほどだが、道釈、花 ...
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明兆に学んだのち独立したとみられる画僧・霊彩
2025/10/1
京都・東福寺の画僧・吉山明兆は、工房的な組織を率いていたと思われ、画技の弟子として霊彩、赤脚子、一之、鎌倉の仲安真康らの名が知られている。 弟子のひとりと目される霊彩(不明-不明)は、詳しい伝記はほと ...
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京都・東福寺の画僧として活躍した吉山明兆
2025/9/30
吉山明兆(1352-1431)は、淡路島に生まれ、淡路の安国寺に住んでいた東福寺派の禅僧・大道一以に修行僧として入信し、のちに師を追って京都・東福寺に入った。同寺では大道および同派の性海霊見の庇護のも ...
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京都・東福寺を中心に活躍したとみられる画僧・良全
2025/9/26
良全(不明-不明)は、鎌倉時代から南北朝時代に活動した画僧で、款記には「良詮」と記した作例もある。「海西人全集筆」の款記が知られることから、海西の人すなわち九州出身の可能性が高いと思われる。複数の作例 ...
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墨蘭の名手と謳われた二画僧・鉄舟と梵芳
2025/9/24
蘭の花は、山中にひっそりと咲く高貴な花として隠逸や優れた人徳の象徴とされ、中国・北宋時代末期から文人画の画題として好まれるようになり、南宋から元時代にかけて広く流行した。当時の中国の禅僧たちのなかにも ...