yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

淡い彩色で土佐派に新風を吹き込んだ土佐光信

2025/12/15  

土佐光信(1434?-1525?)は、土佐広周の嗣子で、土佐光弘の実子と思われる。光信に関する最も早い記録は、応仁の乱の直前、足利義政の室町邸における障子絵の制作に関するもので、その後、広周が後見役と ...

土佐派第四世代として長期にわたり活躍した土佐広周

2025/12/12  

土佐派は15世紀前半に3つの工房に分岐し、土佐派第四世代の絵師としては、六角絵所の六角益継(不明-不明)、春日絵所の土佐光弘(不明-不明)、土佐行広の工房を継いだ土佐広周(不明-不明)の3名が主要な存 ...

南都東大寺「大仏縁起絵巻」を描いた芝琳賢

2025/12/10  

奈良・東大寺に伝わる「大仏縁起絵巻」は、もともとあった20巻の絵巻を3巻に要約し直したもので、天文5年に成立した。内容は大仏を軸に展開し、詞書は上巻を後奈良上皇が、中巻を青蓮院尊鎮が、下巻を公順が担当 ...

土佐派と異なる新奇な画風を示した掃部助久信・久国

2025/12/8  

京都・西本願寺の「慕帰絵」は、観応2年に藤原隆章・隆昌父子の作画によって完成したのち、足利将軍家に貸し出されていたが、飛鳥井雅康のとりなしにより文明13年に京都・本願寺に返却された。ところが、全10巻 ...

京都本圀寺「日蓮聖人註画讃」を描いた窪田統泰

2025/12/5  

京都・本圀寺に伝わる「日蓮聖人註画讃」は、日蓮聖人の生涯を描いた絵巻で、全5巻32段からなる。奥書や箱書によると、天文5年(1536)に日政の勧進によって若狭国遠敷郡(現在の福井県小浜市)の長源寺で制 ...

土佐派と唯一拮抗する活動を展開した粟田口隆光

2025/12/3  

大阪・誉田八幡宮に伝わる「誉田宗廟縁起絵巻」は、永享5年(1433)、6代将軍・足利義教が奉納した絵巻で、全3巻に応神天皇の崩御・葬送と陵墓建設、欽明天皇の勅定により山陵のかたわらに宝殿を建立し八幡大 ...

絵師として初めて土佐を称した土佐行広

2025/12/1  

土佐行広(不明-不明)は、藤原光重の子で、藤原行秀とは兄弟だったと推測されている。兄と目される行秀が工房「春日絵所」を継承し、絵所預をつとめたのに対し、行広は主として将軍家周辺での画事を行なった。初期 ...

春日絵所の基盤を固めた藤原行秀

2025/11/28  

藤原行秀(不明-不明)は、藤原光重の子で、絵師として初めて土佐を称した土佐行広の兄と推定されている。六角寂済らとともに、応永21年の清凉寺本「融通念仏縁起絵巻」の制作に参加しており、当時は現職の絵所預 ...

行光の工房を継承した藤原光重

2025/11/26  

土佐派の実質的な祖とされる藤原行光の次世代にあたるのが、藤原光益(六角寂済)と藤原光重(不明-不明)で、いずれも行光の子と推定されている。先に絵所預に就任した光益が兄と思われるが、光重が行光の工房を継 ...

清凉寺「融通念仏縁起絵巻」制作に加わった六角寂済

2025/11/24  

「融通念仏縁起絵巻」は、融通念仏宗を開いた良忍上人の伝記と念仏の功徳を描いた上下2巻の絵巻で、鎌倉末期に原本が成立し、近世に至るまで大量の転写本や版本が制作された。なかでも、応永21年に成立した「清凉 ...

土佐派の実質的な祖とされる藤原行光

2025/11/21  

藤原隆章・隆昌父子とほぼ同時期、土佐派の実質的な祖となる藤原行光(不明-不明)は、足利将軍家および北朝の周辺でやまと絵制作を行ない、絵所預となった。その後、この絵所預の職は行光の子孫たちによって継承さ ...

京都西本願寺「慕帰絵」を描いた藤原隆章・隆昌父子

2025/11/19  

京都・西本願寺に伝わる「慕帰絵」は、親鸞の曾孫で本願寺三世となった覚如の生涯を綴った高僧伝絵巻で、門弟の乗専を発起人に、覚如の没後まもなく制作された。覚如の生誕から宗教者として成長をとげていく過程を主 ...

三代にわたって同じ号を用いた山田道安

2025/11/17  

山田道安は、洞が峠で聞こえた筒井順慶の一族で、画や彫刻にすぐれたという。道安の号は三代にわたって用いたとされるが、作品のうえからは初代と二代の二人らしく、いずれも鐘馗の絵を得意とし、ほかに山水、花鳥、 ...

周文の画風を学んだとみられる武人画家・土岐富景

2025/11/14  

戦国時代の美濃では、城主・土岐氏の一族から数人の武人画家が出ている。土岐富景(不明-不明)もその一人だが、土岐氏の一族であるということ以外の伝記は不明である。美濃守を称したことは落款から知られているが ...

越前曾我派が代々名乗ったとみられる「曾我蛇足」

2025/11/12  

京都・真珠庵の襖絵で知られる曾我蛇足は、越前曾我派の祖で周文に画を学んだ墨溪の別号として伝わっていたが、制作年代などから襖絵を描いたのは曾我派2代の宗丈という説が有力となり、曾我蛇足という画名も個人の ...

相阿弥に学んだと伝わる単庵智伝

2025/11/10  

単庵智伝(不明-不明)については、長谷川等伯著『等伯画説』の記述が唯一の手掛かりで、それによると、尼崎の器物の下絵付師の出身で、相阿弥に望まれて弟子になったとされ、相阿弥のもとへ修行に出る時、絵の手本 ...