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池大雅とともに日本南画の大成者とされる与謝蕪村
2026/4/10
与謝蕪村(1716-1783)は、摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれた。早くに両親と家産を失ったが、少年の頃から俳句をはじめ、20歳以前には江戸に出て、22歳の時に日本橋の俳諧師・ ...
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日本南画の大成者・池大雅
2026/4/8
池大雅(1723-1776)は、京都の裕福な町人の子として生まれた。幼いころから書の才能を認められ、7歳の時には宇治萬福寺12世の杲堂元昶の前で書を披露し、神童と評された。画については独学で学んだと思 ...
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職業画家を標榜した最初の南画家とされる彭城百川
2026/4/6
彭城百川(1697-1752)は、尾張名古屋に生まれた。薬種商の子とも、養子に入ったとも伝えられ、祖先は中国からの帰化人という説もある。若いころは俳諧師として知られたが、30代はじめに京都に出て画家と ...
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鶴沢探鯨の門人・吉田元陳
2026/4/3
吉田元陳(1728-1795)は、鶴沢探鯨の門人で、京都の豪商・角倉家の縁者とされる。その活動はほとんど不明だが、法橋、法眼に叙され、探鯨の子・探索らとともに寛政度禁裏御所の障壁画の制作に参加したこと ...
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狩野派鶴沢家3代目を継いだ鶴沢探索
2026/4/1
鶴沢探索(1729-1797)は、鶴沢探鯨の子で、狩野派鶴沢家3代目を継いだ。探索が当主をつとめていたころ、鶴沢派の京都における地位は高まりつつあり、寛政度禁裏御所の造営時には探索が土佐派の補佐役を命 ...
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江戸から京都に移り探幽風を京都に広めた鶴沢探鯨
2026/4/1
鶴沢探鯨(1687-1769)は、狩野探幽の門人・鶴沢探山の実子として江戸に生まれ、探幽の画風を学んだのち、元禄期頃に京都に移り住み、探幽風を京都に広めた。禁裏の御用をつとめ、父とともに宝永度禁裏御所 ...
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風俗図に独自の画境を示し一画体を確立した英一蝶
2026/3/27
英一蝶(1652-1724)は、医師・多賀白庵の子として京都に生まれ、幼い頃に江戸に出て狩野安信に師事した。早くから吉原に太鼓持ちとして出入りしていたためか、浮世絵に興味を持ち、岩佐又兵衛や菱川師宣と ...
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幼年期に京都で尾形光琳に直接学んだ深江芦舟
2026/3/25
深江芦舟(1699-1757)は、京都の銀座年寄筆頭役の家に生まれ、豊かな幼年期を過ごした。父の庄左衛門は、学識豊かな趣味人で、尾形光琳の有力な支援者だった中村内蔵助と親しく、その関係で芦舟は光琳に学 ...
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狩野派や琳派の画風による優品を多く残した渡辺始興
2026/3/23
渡辺始興(1683-1755)は、はじめ狩野派に学び、のちに尾形光琳に学んだとされるが、直接光琳と始興を結びつける史料はない。町絵師時代に乾山焼の絵付けを相当量行なったとみられ、光琳風に描いた人物画の ...
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江戸で尾形乾山に学んだ加賀藩の侍医・立林何帠
2026/3/20
立林何帠(不明-不明)については不明な点が多く、加賀前田家の侍医で、のちに江戸に出て白井姓に改めたなどと伝わっている。江戸で尾形乾山に師事し、乾山から「方祝」印や光琳の宗達写扇面画巻を譲り受けたとされ ...
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陶芸に新たな様式を拓き晩年は書画を嗜んだ尾形乾山
2026/3/18
尾形乾山(1663-1743)は、尾形光琳の5歳違いの実弟で、兄・光琳が絵師の道を志したのに対し、乾山は仁和寺近くに鳴滝窯を開き、陶芸の分野で新たな手法による様式を模索した。さまざまな陶器を試みている ...
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宗達の様式を継承・発展させ一世を風靡した尾形光琳
2026/3/16
琳派は、狩野派や土佐派のように血縁・師弟関係によって直接引き継がれた流派ではなく、私淑関係によって先人の作品を学んで引き継いでいった点に特徴がある。代表的絵師である俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一は、ほぼ ...
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水墨画にも多くの傑作を残した琳派の祖・俵屋宗達
2026/3/9
琳派の祖として知られる俵屋宗達(不明-不明)は、桃山末期から江戸初期に活躍したことが知られるが、その詳細な伝記は明らかではなく、生没年も分かっていない。断片的な情報をつなぎ合わせると、京都の町衆の家に ...
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住吉派から分家して板谷派を創設した板谷慶舟
2026/3/6
板谷慶舟(広当)は、住吉派の住吉廣守の門人で、廣守に子がなかったため一時期住吉家を継いだが、子の広行が成長すると、広行に住吉家を継がせ、自身は板谷姓に戻して板谷派を創設した。その後剃髪して慶舟と名乗り ...
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やまと絵系として初めて幕府御用絵師となった住吉派
2026/3/4
住吉派は、江戸時代のはじめに住吉如慶が起こしたやまと絵の画派で、如慶は、土佐光吉、もしくは光則の門弟とされ、土佐派の中央画壇復帰に先んじて朝廷の御用をこなし、寛文2年、後水尾院、後西天皇の命で鎌倉時代 ...
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幕末まで重要な地位を占めた近世土佐派の絵師
2026/3/2
土佐派として1世紀ぶりに宮廷絵所預への復帰を果たした土佐光起の跡は、子の光成がその職を継ぎ、さらにその子光祐へと受け継がれ、その後も光芳、光淳、光時、光禄、光文と代々土佐家の父子によって継承された。ま ...