画人伝・富山 南画・文人画家 花鳥画

河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加した富山の俳人・筏井竹の門と野村満花城

野村満花城「籠に牡丹の図」

野村満花城「籠に牡丹の図」

明治30年6月中旬、俳人・正岡子規の高弟・河東碧梧桐(1873-1937)が初めて北陸を訪れ、富山県高岡の西光寺をたずねた。このとき碧梧桐は24歳だったが、その後子規の死去を経て、33歳から「三千里」と呼ばれる全国俳句行脚を始め、子規の主張した写生主義を拡張するとともに、自らの俳句運動を展開し、それは「新傾向俳句」として全国各地に浸透していった。

碧梧桐の訪問を受けた西光寺住職・寺野甘涯(1836-1907)は、旧派の俳諧宗匠だったが、若き碧梧桐の写生重視の俳論に触発され、転派して俳号を「守水老」と改め、山口花笠や筏井竹の門ら近隣の若い俳人を集めて子規派(日本派)の俳句会「越友会」を結成した。

越友会に加わった筏井竹の門(1871-1925)は、金沢に生まれ、21歳で高岡に転居した。早くから俳句をはじめ、碧梧桐をはじめ、荻原井泉水、大谷句仏らと親交を結び、明治40年代に碧梧桐が流行させた新傾向俳句にも加わった。画を始めたのは、明治44年に高岡を訪れた冨田溪仙に啓発されてからで、その後は溪仙のほか、小川芋銭富岡鉄斎らに私淑して独自の俳画を描いた。

野村満花城(1888-1968)は、城端町に生まれ、俳人だった兄の影響で筏井竹の門を知り、16、7歳頃から句作をはじめ、竹の門とともに新傾向俳句に参加した。画も竹の門と同様に冨田溪仙との出会いを契機に描き始めた。多芸多才で、書、陶芸、茶道などもよくし、骨董、郷土史にも詳しく、谷聴泉、細野燕台、翁久允、室生犀星ら文人墨客をはじめ、柳宗悦、浜田庄司、バーナード・リーチ、河井寛次郎、棟方志功ら民芸運動にかかわる人々とも交流し、地域文化の中心的文人として活躍した。

筏井竹の門(1871-1925)いかだい・たけのかど
明治4年金沢市生まれ。旧加賀藩士の子。名は虎次郎。別号に北雪、此君、四石、松杉窟など多数ある。明治25年高岡に転居した。早くから俳人として名をなし、正岡子規の俳風を経て明治40年代に河東碧梧桐が流行させた新傾向俳句に参加した。冨田溪仙に啓発されて画を描きはじめ、書は良寛に、画は冨田溪仙、小川芋銭、富岡鉄斎らに私淑して独自の俳画を描いた。野村満花城や谷聴泉らと親しく交わり文人として幅広い活動をした。大正14年、53歳で死去した。

野村満花城(1888-1968)のむら・まんかじょう
明治21年城端町生まれ。名は淳。別号に満花山人、満花人がある。俳人・野村老少年の弟。筏井竹の門とともに河東碧梧桐の新傾向俳句に参加した。画は冨田溪仙、玉井敬泉に師事した。大正3年中塚一碧楼の句風を慕って上京、以来一碧楼は9回城端町を訪れている。大正8年金沢に転居、陶芸や書を学んだ。昭和元年に帰郷。昭和29年神明社境内に満花城の句碑建立した。昭和43年、80歳で死去した。

河東碧梧桐(1873-1937)かわひがし・へきごとう
明治6年伊予松山千舟町生まれ。本名は秉五郎。松山藩の漢学者・河東静渓の五男。明治20年伊予尋常中学校に入学、同級生に高浜虚子がいた。18歳の時に正岡子規のもとで本格的に句作をはじめ、以来、子規と俳句活動をともにした。明治30年北陸に旅行し「ひとりたびの記」を新聞「日本」に連載。この旅を機に高岡に日本派の俳句会「越友会」が結成された。明治33年の子規没後、明治39年からいわゆる「三千里」と呼ばれる全国俳句行脚を始め、各地で子規派の拡張、進展に功績を残した。俳句においては、これまでにない比喩、大胆な破調、ルビ付の句作と、新しいスタイルに挑み続けた。書も巧みで、ほかにも与謝蕪村の研究、紀行文、美術批評など多彩な活動をした。昭和12年、63歳で死去した。

寺野守水老(1836-1907)てらの・しゅすいろう
天保7年生まれ。旧号は甘涯。旧派の俳諧宗匠。西光寺の住職。明治30年の河東碧梧桐の高岡訪問以来、日本派に転じて「守水老」と号した。山口花笠らと「越友会」を結成し、北越方面の俳壇の重きをなした。明治40年、71歳で死去した。

富山(10)-画人伝・INDEX

文献:河東碧梧桐-子規門の革命児-、生誕150年記念筏井竹の門展、野村満花城生誕百年記念冊子・野村満花城、富山の美と心、富山の文人画展、抄記 城端町史




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