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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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唐絵目利広渡家の画系

2021/7/18  

唐絵目利四家のひとつである広渡家は、武雄鍋島藩で御用絵師をつとめていた初代広渡心海に学んだ広渡一湖(1644-1702)に始まる。一湖は熊本の生まれだが、24歳で長崎に移り住み、心海が一時長崎に滞在し ...

唐絵目利石崎家初代・石崎元徳らを輩出した小原慶山の画系

2021/7/6  

初期の長崎画壇に大きな影響をあたえた小原慶山(不明-1733)は、丹波に生まれ、京都を経て江戸に出て狩野洞雲に学んだ。その後、長崎に移り住み河村若芝に師事した。作品には雪舟派や狩野派の筆致がみられ、唐 ...

長崎唐絵の奇才・河村若芝とその画系

2021/7/6  

渡辺鶴洲と並び、逸然性融門下の双璧と謳われた河村若芝(1630-1707)は、師の奇狂な造形美をさらに増幅させた画風で、長崎唐絵の代表的な奇才と称されている。若芝は、肥前佐賀の豪族の出身で、故あって長 ...

続長崎画人伝を記した鶴洲の高弟・荒木千洲とその画系

2021/7/6  

長崎画人伝によって唐絵目利の画系を後世に残す渡辺鶴洲の仕事は、その高弟である荒木千洲(1807-1876)によって引き継がれた。千洲が編纂した続長崎画人伝では、師の鶴洲およびその系統に属する人々、荒木 ...

長崎画人伝を著した唐絵目利渡辺家七代・渡辺鶴洲

2021/7/8  

唐絵目利渡辺家7代を継いだ渡辺鶴洲(1778-1830)は、長崎画人伝の著者としても知られる。長崎画人伝は、一度途絶えたような形となった渡辺家を継いだ鶴洲が、唐絵目利の中での渡辺家の存在の挽回をはかる ...

唐絵目利の祖・渡辺秀石とその画系

2021/7/6  

唐絵目利とは、長崎の地役人のひとつで、江戸時代唯一の開港地だった長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを鑑定、さらにその画法を習得することを主な業務とした。当初、絵目利と呼ばれていたが、元禄10年に ...

長崎漢画の祖・逸然性融

2021/7/6  

隠元隆琦によって長崎に伝えられた黄檗宗には、黄檗肖像法によって肖像画を描いた喜多氏ら肖像画工のほか、興福寺の僧・逸然性融(1601-1668)を開祖とする漢画(唐絵)のグループがあった。漢画とは、江戸 ...

黄檗肖像画家・喜多元規とその画系

2021/7/6  

17世紀中頃、黄檗宗の僧・隠元隆琦が渡来し、我が国に黄檗宗を伝えると、木庵性稲や即非如一、独立性易ら黄檗僧が続々と渡来し、長崎は黄檗文化の一大中心地となった。中国黄檗僧の渡来によって盛んになった黄檗宗 ...

南蛮美術と長崎の南蛮絵師

2021/7/6  

天文12年、種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲を伝え、続く天文18年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられた。この時に来日したポルトガル人やスペイン人を総称して南蛮 ...

佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち

2021/7/12  

大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在学生たちも加わった。こ ...

北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家

2021/7/12  

明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者としては、明治35年に入学した陣 ...

明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助

2025/2/13  

黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に家族とともに上京した。幼 ...

百武兼行によってはじまる佐賀洋画

2024/12/14  

佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随行したのが、御相手役として直大に仕 ...

天龍道人ら肥前佐賀の南画家と岸派

2021/8/10  

18世紀に入ってから盛んになった南画では、文化6年に92歳で没した異数の人・天龍道人(1718-1809)がいる。天龍道人は、肥前鹿島に生まれ、のちに諸国を漫遊し諏訪で一家を成した。鷹や葡萄の画をよく ...

名所図会絵師として名を高めた長谷川雪旦と唐津藩

2021/7/8  

唐津藩の御用絵師としては、文化14年以降この地を治めた小笠原氏の絵師となった江戸の画家・長谷川雪旦(1778-1843)が知られている。雪旦は、40代で唐津藩小笠原家の御用絵師となり、藩主小笠原長昌と ...

草場佩川と多久の先覚者

2021/7/6  

早い時期から東原庠舎や多久聖廟が創建された多久では、文教の基盤が確立され、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した先駆者を多く輩出した。多久生まれの草場佩川(1787-1867)は、詩歌書画にすぐれ ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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