画人伝・大阪 静物画

中井藍江に学び写生にも力を注いだ林文波

林文波 左:「炭取鼠図」右:「百福の図」

林文波 左:「炭取鼠図」右:「百福の図」

林文波(1786-1845)は、はじめ蔀関月に師事し、その後、関月の門人である中井藍江に学んだ。山水花鳥を得意とし、また写生にも力を注ぎ、与謝蕪村を敬愛したという。写生派の画家だが、琳派写しの人物画「大黒天」も描いている。門人には子の文淵(名は直温)や木下芦洲らがいる。

林文波(1786-1845)はやし・ぶんぱ
天明6年生まれ。名は直之。号は文波(文坡)、方洲。はじめ蔀関月に学び、その後中井藍江に学んだ。天保15年応挙南岳追福書画展に「福貴草図」を出品。天保のはじめ頃までは大坂の本町、天保の後半以降は北久太郎町中橋西に住んだ。弘化2年、60歳で死去した。

木下芦洲(1807or14-1879)きのした・ろしゅう
大坂の人。名は直行、字は有徳、俗称は篤三郎。林文波の門に学び、人物花鳥を得意とした。嘉永頃までは堀江高台橋の南に住み、安政以降は清水町に移った。生没年に関しては、『墓所記』『大人・正』に明治12年73歳没とあり、逆算すると生年は文化4年生まれとなるが、『名流・安三』には文化11年生まれとあり、それによると享年66歳となる。

大阪(48)-画人伝・INDEX

文献:近世大阪画壇、浪華人物誌2、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画




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