泉必東(不明-1764)は、清人銭氏の子孫と伝わっており、『要略』では銭必東と記されている。幼少の頃から画を好み、諸国を遊歴して画技を磨き、特に沈南蘋の影響を受けて山水花鳥を得意とした。また、書法を新興蒙所に学び、著した『草書十体千字文』は高い評価を受けている。大坂における長崎派画人として極彩色の花鳥画に優品が多く、富商が競って手に入れたという。
泉必東(不明-1764)せん・ひっとう
大坂の人。姓は泉氏、銭氏。名は貞、字は恒卿、または恒軒。号は必東。清人銭氏の子孫と伝わっている。定まった師を持たずに諸国を遊歴して画技を磨き、なかでも沈南蘋の影響を受けて山水花鳥で一家を成した。書を新興蒙所に学んで造詣が深かったという。宝暦6年大雅、鶴亭とともに松竹梅三幅対を描いた。明和元年死去した。
大阪(20)-画人伝・INDEX
文献:近世大阪画壇、浪華人物誌1、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大坂画壇、大坂画壇の絵画