南画・文人画家

明治維新後は郷里伊勢崎の地方教育に尽力した松本宏洞

2021/7/5  

松本宏洞「秋浦帰帆之図」玉寿文庫蔵 松本宏洞(1827-1911)は、佐波郡大正寺村(現在の伊勢崎市大正寺町)の名族の家に生まれた。7歳から書をはじめ、10歳で儒教の経典である五経を素読したといわれる ...

若くして高崎藩を脱藩し諸国を旅した矢島群芳

2021/7/5  

矢島群芳「四季花鳥図」(左:春、右:夏)高崎市蔵 矢島群芳「四季花鳥図」(左:秋、右:冬)高崎市蔵 高崎藩士・矢島兵左衛門定喜の子として江戸藩邸に生まれた矢島群芳(1798-1869)は、幼いころから ...

上州南画の第一人者・金井烏洲

2021/7/5  

金井烏洲「米法山水図」米法とは、米点法ともいい、中国北宋の画家・米芾があみだし、その子・米友仁(米虎兒)によって継承された水墨画の描法で、輪郭線や色面ではなく、墨の筆点によって描く点描法のひとつ。本作 ...

玉村宿で地方絵師として活躍した千輝玉斎

2021/7/5  

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分) 千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)「豊年満作襖絵」は四枚仕立ての襖絵。万延元年の制作で、上野国の農民の暮らしぶりを伝えている。 千輝玉斎(1790-18 ...

上州南画の先駆者・柿沼山岳

2021/7/5  

柿沼山岳「鷹図」 柿沼山岳「龍図」 柿沼山岳(1774-1859)は、安永3年、武蔵国加須(現在の埼玉県加須市)に生まれた。若いころ江戸に出て、亀田鵬斎に師事して漢学と画技を学んだと思われる。諸国遊歴 ...

抽象表現に南画の新しい境地を拓いた大山魯牛

2021/7/6  

大山魯牛「突兀」 大山魯牛(1902-1995)は、東京日本橋に生まれ、生後すぐに実家のある足利に移った。3歳の時に病気のため右足を切断し、手術時の後遺症で左耳の聴覚を失った。10歳頃から本家の所蔵品 ...

視力を失ってからも描き続けた長谷川沼田居

2021/7/6  

長谷川沼田居「沼田居夜景」長谷川沼田居美術館蔵 長谷川沼田居(1905-1983)は、現在の足利市県町に生まれた。15歳で田崎草雲の門人・牧島閑雲の内弟子となり、南画の基礎と漢学を学んだ。20歳の時に ...

南画を描きながら足利の青年たちに漢学を教えた牧島閑雲

2021/7/6  

左:牧島閑雲「孔子像」右:牧島閑雲「鍾馗之図」 牧島閑雲(1851-1942)は、栃木県梁田郡梁田宿(現在の足利市梁田町)に生まれ、9歳頃から館林藩の儒臣・田中泥斎に漢学を学んだ。22歳の時に田崎草雲 ...

写実性や装飾性を取り入れた異端の南画家・石川寒巌

2021/7/6  

石川寒巌「松林図」栃木県立美術館蔵 栃木県黒羽町(現在の大田原市)に生まれた石川寒巌(1890-1936)は、早くから文学や美術に興味を持ち、19歳で上京、太平洋画会研究所で油彩画を学ぶとともに、佐竹 ...

全国各地を放浪のすえ佐野に定住した南画家・王欽古

2021/7/6  

左:王欽古「蘭亭曲水図」右:王欽古「楳花書屋図」 京都の医師の家に生まれた王欽古(1830-1905)は、小田海僊に師事し、師の画風を受けて南画山水を得意とした。はじめは海雲と号していたが、のちに中国 ...




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