南画・文人画家

近江、尾張、三河にまでおよんだ高橋杏村の門人

2022/8/15  

高橋杏村「花卉図」 京都で中林竹洞に学んだ高橋杏村(1804-1868)は、のちに帰郷し、梁川星巌に漢詩を習い、西濃の漢詩人・神田柳渓と交わり、さらに昌平校の儒官・曾我耐軒が美濃に来た時に経学を学んだ ...

村瀬一族の奇才・村瀬太乙

2024/4/11  

村瀬太乙「富嶽図」 村瀬藤城、秋水ら優秀な学者や南画家を輩出した村瀬一族だが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが村瀬太乙である。太乙は、藤城、立斎、秋水の村瀬三兄弟の従兄弟の子にあたり、詩、書、画 ...

美濃の南画、村瀬秋水の一族と門人

2022/8/15  

村瀬秋水「山水図巻」(部分) 美濃の南画壇にあって影響力のあった南画家のひとりに村瀬秋水がいる。村瀬秋水は、美濃上有知の造り酒屋で庄屋を務める村瀬敬忠の三男として生まれた。長兄は頼山陽門の儒学者・村瀬 ...

美濃の南画、竹洞・梅逸の門人

2022/8/15  

左:山田訥斎「玉堂富貴図」、右:片野南陽「白衣観音図」 全国的な南画の隆盛に寄与した尾張南画の中林竹洞、山本梅逸は、美濃における南画の発展にも大きな影響を及ぼした。美濃の南画家として名を残した、高橋杏 ...

南画家として活躍した大垣の漢詩人・思想家

2022/8/15  

左:梁川星巌「山水図」右:梁川紅蘭「竹菊に蝶図」賛:梁川星巌 美濃地方での南画家の動向を地域的にみると、第一世代の南画家は西美濃地方から多く出ている。大垣では江馬細香をはじめ、梁川星巌、梁川紅蘭ら漢詩 ...

頼山陽の美濃訪問と江馬細香

2022/8/16  

江馬細香 左:自画賛梅竪図、右:自画賛竹石の図 文化年間、京都ではひとつの文化人グループが文墨界を牛耳っていた。その中心にいたのが漢詩人であり思想家の頼山陽である。山陽の周辺には、画家、文人、医師、僧 ...

南画の衰退、そして近代日本画へ

2022/8/12  

近世尾張画壇の特徴としては、画を学ぶ者の多くがその場を京都に求めたことにある。牧墨僊のように江戸詰めの尾張藩士は江戸で師を見出すことはあったが、彭城百川、中林竹洞、山本梅逸、田中訥言ら著名な画家たちの ...

尾張南画の歳寒三友、竹洞、梅逸、そして伊豆原麻谷

2022/8/10  

伊豆原麻谷「菊花双禽図」 竹洞、梅逸と並び称され、尾張南画の「歳寒三友」の一人とされた「松谷」こと伊豆原麻谷であるが、その経歴に不明な点は多い。三河の農村に生まれ、僧侶になるはずが画の道に入り、当時最 ...

尾張南画の全盛・山本梅逸の門人たち

2022/8/12  

山本梅逸「花卉草虫図」 郷里に帰る中林竹洞と別れ、全国各地の遊歴の旅に出た山本梅逸は、京都から大坂、山陽、四国とめぐり、さらに北陸へと足を延ばし、いったん名古屋に戻ったあとは、江戸に姿を現すなど、再上 ...

尾張南画の全盛、中林竹洞・山本梅逸の登場

2022/8/12  

中林竹渓「林和靖図」賛:大倉袖蘭 神谷天遊ら大パトロンの存在により相当量の中国画が尾張の地に蓄積され、画家の研鑚の場も充実、画壇が活況を呈する条件が整えられていった。こうした時代にこの地で若い時期を過 ...




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