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加賀藩主・前田利常の御用絵師をつとめた俵屋宗雪
2022/11/28
俵屋宗雪 重文「秋草図屏風」東京国立博物館蔵 本阿弥光悦とともに琳派の祖とされる俵屋宗達(不明-不明)は、17世紀の京都で町絵師として活躍し、やまと絵の様式を基盤に、装飾性と意匠性に富んだスタイルを確 ...
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等伯の跡を継いで一門を率いる存在として将来を嘱望されていたが26歳で早世した長谷川久蔵
2022/11/24
長谷川久蔵 国宝「祥雲寺障壁画」のうち「桜図」京都市智積院蔵 長谷川等伯には、在郷時代の妻との間に二男二女がおり、男子は長男・久蔵と二男・宗宅で、女子にはそれぞれ等秀と等学が娘婿として迎えられた。さら ...
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中島秋圃の後任として後進の育成に尽力した加藤雨月
2022/10/10
加藤雨月「蓮之図」氷見市立博物館蔵 加藤雨月(1891-1968)は、富山市千石町に生まれ、富山中学校を経て東京美術学校日本画科に進学した。入学後は代議士宅で書生などをしながら苦学して学び、結城素明、 ...
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官展を離れ戦後は日本美術協会改組に参加した塩崎逸陵
2022/10/5
塩崎逸陵「軍鶏」高岡市立定塚小学校蔵 高岡市に生まれた塩崎逸陵(1884-1974)は、富山県立工芸学校描金科に入学し、教頭として赴任していた京都の日本画家・畑仙齢に日本画を学んだ。同校卒業後は東京美 ...
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富山県立工芸学校で日本画の教官を長年つとめた中島秋圃
2022/9/30
中島秋圃「梅に小禽の図」高岡市美術館蔵 美術工芸の町として発展した高岡では、高田蕙圃や佐伯春芳をはじめとする高岡の初期絵師たちが、銅器、漆器の下図や染織の図案を描き、また、のちに続く工芸家たちにその技 ...
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竹村白鳳ら石崎光瑤に師事した富山の日本画家
2022/9/16
竹村白鳳「春酣」京都市美術館蔵 石崎光瑤は、京都画壇で活躍する一方、京都市立絵画専門学校で20年以上教鞭をとり、40代後半からは私塾を開いて後進の育成に励んだ。 光瑤塾の塾頭をつとめた竹村白鳳(189 ...
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写実に江戸琳派の装飾性を加味し絢爛とした画風を展開した石崎光瑤
2022/9/14
石崎光瑤「燦雨」(上が右隻)南砺市立福光美術館蔵 石崎光瑤(1884-1947)は、富山県福光町(現在の南砺市)に生まれた。生家は藩政期から続く名家で、蔵宿業などの事業を手広く営んでいた。父親は漢籍を ...
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河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加した富山の俳人・筏井竹の門と野村満花城
2022/9/9
野村満花城「籠に牡丹の図」 明治30年6月中旬、俳人・正岡子規の高弟・河東碧梧桐(1873-1937)が初めて北陸を訪れ、富山県高岡の西光寺をたずねた。このとき碧梧桐は24歳だったが、その後子規の死去 ...
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稲垣碧峰ら幕末・明治期の富山の南画家
2022/8/23
稲垣碧峰「桐花菊之図」 稲垣碧峰(1813-1879)は、富山城下舟橋今町(現在の富山市)の造り酒屋に生まれ、京都に上り貫名海屋に書を、浦上春琴に画を学んだ。当時、田能村竹田に有能な弟子を訪ねられた春 ...
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酒井抱一・鈴木其一に続く江戸琳派の継承者・池田孤邨
2022/3/30
池田孤邨「紅葉に流水図屏風」 越後国水原近辺(現在の新潟県阿賀野市)に生まれた池田孤邨(1803-1868)は、10代後半頃に江戸に出て酒井抱一の内弟子となった。抱一門下では、鈴木其一(1796-18 ...