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都城島津家の最初の絵師・白谷卜斎
2021/7/6
白谷卜斎画・長峰探隠模写「豊太閣図」 宮崎の美術の中で、まず最初に狩野派の絵師として登場するのが、都城藩の白谷卜斎(不明-1658)である。白谷卜斎は都城領主・北郷忠能に仕え、文録の頃、京都に出て狩野 ...
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国東地方にちょっとした京風美人画ブームをもたらした吉原真龍
2024/12/14
吉原真龍「語らい美人図」 豊後出身の美人画家としては、西国東郡真玉町の吉原真龍(1804-1856)があげられる。真龍は文政期頃に京都に出て三畠上龍に入門し美人画を学んだ。京都を中心に活躍し、嘉永2年 ...
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熊本近代洋画の発展に寄与した青木彜蔵と伊藤直臣
2021/7/6
青木彜蔵「孔子画像」熊本県立済々黌高等学校蔵 熊本洋画は黎明期を経て、次第に近代化への道を進んでいくが、その啓蒙的な役割を担ったのが、美術学校で学んだのち郷里に戻ってきた洋画家たちだった。彼らの働きに ...
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熊本洋画の先駆的人物・光永眠雷が描いた西郷隆盛
2021/7/6
光永眠雷「西郷隆盛肖像」 熊本洋画の黎明期をになった画家としては、明治12年に上京し、イタリア人画家・キヨッソーネのもとで油絵を学んだ光永眠雷(1867-1928)が挙げられる。眠雷は東京で油絵を学ん ...
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熊本近世絵画のはじまり-矢野派の祖・田代等甫
2021/7/24
伝田代等甫「細川幽斎像」 熊本城の正確な築城年代は明らかになっていないが、慶長15年(1610)頃には大広間や花畑屋敷は完成していたと考えられている。当時は、各地の城で大規模な障壁画が描かれるようにな ...
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野口彌太郎と長崎ゆかりの洋画家
2021/7/11
野口彌太郎「タンジール」 野口彌太郎(1899-1976)は、諫早市出身の銀行家・野口彌三の長男として東京に生まれ、父の仕事の関係で各地を転々としたが、父の田園生活を送らせたいとの思いから、明治44年 ...
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大正初期の美人画作家・栗原玉葉と長崎ゆかりの日本画家
2024/12/11
栗原玉葉「お夏狂乱(恋)」 大正初期の文展で美人画作家として活躍した栗原玉葉(1883-1922)は、現在の雲仙市に生まれ、上京して寺崎広業に学んだ。大正2年、第7回文展に初入選し、第8回展では褒状を ...
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外光派の風景画家・山本森之助と早世した人気画家・渡辺与平
2021/7/11
山本森之助「雨後」(絶筆) 明治10年、山本森之助(1877-1928)は長崎市新橋町の料亭一力の長男として生まれた。明治27年に画家を志して大阪の山内愚仙に入門、翌年には上京して浅井忠の明治美術学校 ...
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黄檗肖像画家・喜多元規とその画系
2021/7/6
喜多元規「黄檗肖像画」 17世紀中頃、黄檗宗の僧・隠元隆琦が渡来し、我が国に黄檗宗を伝えると、木庵性稲や即非如一、独立性易ら黄檗僧が続々と渡来し、長崎は黄檗文化の一大中心地となった。中国黄檗僧の渡来に ...
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佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち
2021/7/12
高木背水「練馬風景」 大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在 ...
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北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家
2021/7/12
北島浅一「パリの踊り子」 明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者として ...
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明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助
2025/2/13
久米桂一郎「残曛下絵」 黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に ...
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官展で活躍した福岡県の近代日本画家
2024/12/11
吉村忠夫「多至波奈大女郎」法隆寺蔵 官展で活躍した福岡県の近代日本画家としては、ます最初に吉村忠夫(1898-1952)が挙げられる。吉村は北九州市に生まれ、東京美術学校を首席で卒業、のちに松岡映丘に ...
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狩野探幽門下四天王と称された尾形家2代守義と狩野姓を許された3代守房
2021/7/24
小方守房(狩野友元)「仏涅槃図」長円寺蔵 福岡藩の御用絵師はすべて狩野派で、尾形家、衣笠家、上田家の3家が代々世襲で家督を継いだ。他にも、熊本氏、小森氏、佐伯氏、笠間氏など一代限りまたは随時に抱えられ ...
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写実理論を作品と執筆の両面から確立しようとした前田寛治
2024/12/14
前田寛治「西洋婦人像」 鳥取県中部の中北条村国坂の農家の二男として生まれた前田寛治(1896-1930)は、倉吉中学を卒業後、東京美術学校を卒業して倉吉中学に赴任したばかりの中井金三の勧めもあって画家 ...
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森岡柳蔵ら東京で学んだ鳥取出身の洋画家
2024/12/14
森岡柳蔵「読書」倉吉博物館蔵 遠藤董が伝えた油絵の技法や新しい洋画の思想によって、鳥取県の洋画界はしだいに活気を帯び、上京して美術を学ぶものも出てきた。森岡柳蔵(1878-1961)は明治31年に上京 ...