画人伝・長崎

シーボルトのお抱え絵師・川原慶賀

2021/7/6  

川原慶賀「洋人絵画鑑賞図」 文政6年、オランダ東インド政庁の商館付医師として長崎出島に赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は、日本の門人に西洋医学などを教授するととも ...

洋風画にも通じた唐絵目利・石崎融思と長崎の洋風画家

2021/7/6  

石崎融思「唐館図蘭館図絵巻」(部分) 長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを判定、さらにその画法を修得することを主な職務とした唐絵目利は、渡辺家、石崎家、広渡家の3家が世襲制でその職務についていた ...

長崎洋風画の先駆者・若杉五十八と荒木如元

2021/7/11  

伝若杉五十八「洋人行楽図」(部分) 荒木如元「オランダ海港図」 キリスト教の禁止令とともに、西洋画もその弾圧の対象とされ、さまざまな制約が加えられるようになった。唯一の開港地だった長崎では、西洋や中国 ...

南蘋派の開祖・熊斐と南蘋派の画人

2022/3/4  

左:熊代熊斐「登龍門図」右:熊代熊斐「柳下鵜図」 南蘋派は、清から渡来した沈南蘋によって伝えられた画風で、緻密な写生と鮮やかな彩色が特徴である。沈南蘋は、享保16年に渡来して18年まで長崎に滞在してお ...

唐絵目利広渡家の画系

2021/7/18  

左:広渡湖秀「周壬禄賛双鯉図」右:広渡湖秀「奏滄鼎賛関羽図」 唐絵目利四家のひとつである広渡家は、武雄鍋島藩で御用絵師をつとめていた初代広渡心海に学んだ広渡一湖(1644-1702)に始まる。一湖は熊 ...

唐絵目利石崎家初代・石崎元徳らを輩出した小原慶山の画系

2021/7/6  

小原慶山「雪中梅図」 初期の長崎画壇に大きな影響をあたえた小原慶山(不明-1733)は、丹波に生まれ、京都を経て江戸に出て狩野洞雲に学んだ。その後、長崎に移り住み河村若芝に師事した。作品には雪舟派や狩 ...

長崎唐絵の奇才・河村若芝とその画系

2021/7/6  

河村若芝「群仙星祭図」 渡辺鶴洲と並び、逸然性融門下の双璧と謳われた河村若芝(1630-1707)は、師の奇狂な造形美をさらに増幅させた画風で、長崎唐絵の代表的な奇才と称されている。若芝は、肥前佐賀の ...

続長崎画人伝を記した鶴洲の高弟・荒木千洲とその画系

2021/7/6  

荒木千洲「武内宿弥図」 長崎画人伝によって唐絵目利の画系を後世に残す渡辺鶴洲の仕事は、その高弟である荒木千洲(1807-1876)によって引き継がれた。千洲が編纂した続長崎画人伝では、師の鶴洲およびそ ...

長崎画人伝を著した唐絵目利渡辺家七代・渡辺鶴洲

2021/7/8  

渡辺鶴州「一品朝天図」 唐絵目利渡辺家7代を継いだ渡辺鶴洲(1778-1830)は、長崎画人伝の著者としても知られる。長崎画人伝は、一度途絶えたような形となった渡辺家を継いだ鶴洲が、唐絵目利の中での渡 ...

唐絵目利の祖・渡辺秀石とその画系

2021/7/6  

渡辺秀石 左:「野稲群雀図」、右:「鶴寿老人図」 唐絵目利とは、長崎の地役人のひとつで、江戸時代唯一の開港地だった長崎に入ってきた絵画の制作年代や真贋などを鑑定、さらにその画法を習得することを主な業務 ...




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