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岡田静山ら加賀の近世南画家
2022/12/21
岡田静山「花鳥図」真宗大谷派金沢別院蔵 加賀の近世南画家としては、江戸時代中期に加賀藩の計史・深山台州や医師の津田菜窠らが独自の南画を描き、江戸時代中期から後期にかけては、鶴来出身で今枝家の儒者・金子 ...
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藩政の改革につとめた加賀藩士・寺島応養
2022/12/19
寺島応養「漁楽図」 寺島応養(1777-1837)は、通称を蔵人といい、高岡町奉行、定検地奉行、改作奉行、大坂借財仕法主付など藩の諸役を歴任し、第11代藩主・前田斉広の重用を受けて藩政の改革につとめた ...
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大雅風を追究し「能登の大雅堂」と呼ばれた池野観了
2022/12/16
池野観了「蘭亭曲水図」志賀町恩敬寺蔵 池野観了(1753-1830)は、能登国羽咋郡赤住村(現在の志賀町赤住)の真宗大谷派恩敬寺住職の子として生まれた。幼いころから仏典に親しみ、成人してから伊勢の西弘 ...
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江戸時代中期に活躍した武人画家・矢田四如軒
2022/12/14
矢田四如軒「秘岩摩図」金沢市真行寺蔵 矢田四如軒(1718-1794)は、加賀藩の年寄衆前田土佐守家の家老・矢田唯幻の二男として生まれ、兄が病死したため家督を継ぎ、前田土佐家の家老をつとめた。画につい ...
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桜画を専門に描いた三熊派の祖・三熊花顛
2023/3/27
三熊花顛「八重山桜図」六如慈周賛 江戸時代中期の京都において、桜の絵を専門に描く画家たちがいた。その始祖は、『近世畸人伝』の発案者として知られる三熊花顛(1730-1794)で、花顛は、桜の品種や銘木 ...
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岸駒・岸岱に学んだ加賀の岸派
2022/12/9
森西園「青緑山水図」 文化5年(1808)、金沢城二ノ丸御殿が焼失し、その復興工事が翌年から行なわれた。御殿の障壁画制作のために江戸から狩野友益とその子・墨川が金沢に下り、地元の狩野派からは八代梅田九 ...
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京都の狩野派に学び加賀藩に仕えた佐々木泉景
2022/12/7
佐々木泉景「鹿群図」加賀市実性院蔵 地元金沢の狩野派として、梅田家とともに加賀藩の御用を受けたのが、江戸時代後期から末期にかけて活躍した佐々木泉景(1773-1848)とその一門である。大聖寺(現在の ...
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加賀藩に仕えた地元金沢の狩野派・梅田家の絵師
2022/12/5
梅田九栄(九代)「獅子牡丹図」金沢市極楽寺蔵 加賀藩の御用を受けた絵師としては、幕府の御用絵師・狩野探幽がたびたび三代藩主・前田利常に絵の依頼をされており、その門下である久隅守景も一時期金沢に滞在して ...
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加賀藩に仕えた神田松永町狩野家の祖・狩野友益
2022/12/2
狩野友益「帰去来図剡渓訪戴図」石川県立美術館蔵 狩野友益(不明-不明)は、狩野永徳の弟にあたる狩野宗巴種信の孫で、江戸に出て表絵師・神田松永町狩野家を興した。加賀藩五代藩主・前田綱紀のときに加賀藩に仕 ...
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加賀地方で多くの代表作を描いた久隅守景
2022/11/30
久隅守景 国宝「納涼図屏風」東京国立博物館蔵 加賀藩三代藩主・前田利常(1593-1658)は、初代利家、二代利長が帰依した社寺の復興・修復や、自身による新築を盛んに行ない、それに関わる建築や内部装飾 ...
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加賀藩主・前田利常の御用絵師をつとめた俵屋宗雪
2022/11/28
俵屋宗雪 重文「秋草図屏風」東京国立博物館蔵 本阿弥光悦とともに琳派の祖とされる俵屋宗達(不明-不明)は、17世紀の京都で町絵師として活躍し、やまと絵の様式を基盤に、装飾性と意匠性に富んだスタイルを確 ...
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等伯の跡を継いで一門を率いる存在として将来を嘱望されていたが26歳で早世した長谷川久蔵
2022/11/24
長谷川久蔵 国宝「祥雲寺障壁画」のうち「桜図」京都市智積院蔵 長谷川等伯には、在郷時代の妻との間に二男二女がおり、男子は長男・久蔵と二男・宗宅で、女子にはそれぞれ等秀と等学が娘婿として迎えられた。さら ...
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能登が生んだ桃山時代を代表する画家・長谷川等伯
2022/11/22
長谷川等伯 国宝「松林図屏風」東京国立博物館蔵 長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子と ...