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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/8/20
矢野典博写(狩野典信原画)「釈迦・十六羅漢図粉本」森崎家資料として伝存する江戸期の目録『絵本目録覚』の「仏身」の部に掲出されている粉本。 森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春 ...
2022/8/20
矢野栄教「七福神図」宝厳寺蔵 徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またそ ...
2025/4/14
佐々木養郭惟照「蘇軾・李白図屏風」 江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始 ...
2022/8/20
記録的に阿波で最も古い画人は、臨済宗の僧・周崇(1345-1423)である。破墨山水や人物画に優れていたという。また、阿波細川家当主の細川成之(1434-1511)も画人として名を残している。雪舟の門 ...
2025/3/26
日高昌克「草」 徳川御三家として栄えた紀伊の地では、紀伊狩野を中心とした御用絵師の系譜が長く続いたが、従来の絵画に飽きたらず新しい表現を探った儒者・祇園南海らを始祖とした南画家の登場や、様々な師系や独 ...
2025/3/26
左:森月航「花鳥図」、右:森月航「蝶図」 紀伊の円山・四条派としては、松村景文の門人である鎌田景麟(1808-1864)、景麟に学んだ塩谷景山(不明-不明)、挿図を多く描いた塩路鶴堂らがいる。また、月 ...
2022/8/19
岩瀬広隆 左:大楠公笠置山参内図、右:松風村雨図 岩瀬広隆は京都で生まれ、20代前半には「菱川清春」の名で、菱川師宣五代目を自称し、多くの版本挿画を手掛ける浮世絵師として京都で活躍した。若くして才能を ...
2025/3/26
坂(阪)本浩雪「桜花図」 紀州三大南画家である祇園南海、桑山玉洲、野呂介石を輩出した紀伊には、その門人の他にもさまざまな師系の南画家が活躍した。大江龍眠の実弟で小田海僊に師事した大江霞岳、本草学者で南 ...
2022/8/19
野際白雪「那智懸泉図」 野呂介石の高弟で、紀伊藩のお抱え絵師を務めた野際白雪(1773-1849)は、介石に学びながらも、南画だけでなく、狩野派や四条派風の花鳥画も学んだようで、研究熱心で画域が広かっ ...
2022/8/19
浜口灌圃「山水図」和歌山県立博物館蔵 池大雅の高弟として全国的に名前を知られるようになった野呂介石のもとには、各地から多くの文人たちが訪れてきた。その中には田能村竹田や頼山陽など次世代の南画壇を担う画 ...
2022/8/19
野呂介石「富岳紅暾図」 紀州三大南画家のひとりである野呂介石(1747-1828)は、鶴亭と池大雅に学び、木村兼葭堂ら関西の文人たちと交流して才能を開花させていった。同じ紀州三大南画家のひとりである一 ...
2022/8/19
桑山玉洲 左:桃李狸奴図、右:野馬図 紀州三大南画家のひとり、桑山玉洲(1746-1799)は、若くして実業家として成功し、生涯を紀伊の地で過ごした。事業のからわら画法を研究し、理想郷を描いた山水画や ...
2022/8/19
祇園南海「五老峰図」 紀伊の儒者・祇園南海(1676-1751)は、「詩画一致」の思想を打ち立て、高度な教養に裏打ちされた、画、書、詩が渾然一体となった作品を創出し、彭城百川(1697-1752)、柳 ...
2025/3/26
左:笹川遊原「唐美人図」、右:笹川遊原「美人浄瑠璃遊び図」 狩野派の画人の中には、諸派の画風を取り入れながら画技を模索するものも出てきた。養父である二代笹川遊泉の後を継ぎ、紀伊藩の御絵師をつとめた笹川 ...
2022/8/19
真砂幽泉 左:鷙鳥図、右:紅葉に尾長鶏図 紀南田辺で活躍した狩野派の画人としては、真砂幽泉がいる。近世の田辺では、医者や学者らが余技として画を描くものはいたが、師系のはっきりした画人としては幽泉のほか ...
2022/8/23
左:2代山本養和「鍾馗に鬼図」、右:2代山本養和「群鶴図」 紀伊藩に仕えた狩野派としては、岩井泉流のように江戸紀伊藩に仕えたものと、和歌山の紀伊藩に仕えたものがいた。江戸の木挽町狩野の流れを組む画人と ...
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