yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

里見米菴ら院展に出品した富山の日本画家

2022/10/17  

里見米菴(1898-1993)は、富山県射水郡小杉町(現在の射水市)に生まれ、高等小学校卒業後に16歳で上京し、鈴木赤城の内弟子となり、川合玉堂門下の井澤蘇水らに日本画を学んだ。その後、赤城門を出て舞 ...

写生行脚を続け求道者のように山を描いた村嶋酉一

2022/10/14  

村嶋酉一(1897-1973)は、富山市総曲輪丸の内に生まれ、富山中学校卒業後に尾竹越堂をたよって上京し、書生として寄宿しながら東京美術学校日本画科に入学、結城素明に師事した。また、同校で画業に励む一 ...

時代小説の挿絵画家としても活躍した金森観陽

2024/12/11  

金森観陽(1884-1932)は、13歳で尾竹越堂に師事し、富山県出身者として初めて文展に入選した。その後大阪に移り、関西画壇で活躍した。風俗画・歴史画にすぐれ、その手腕を生かした挿絵画家としても活動 ...

中島秋圃の後任として後進の育成に尽力した加藤雨月

2022/10/10  

加藤雨月(1891-1968)は、富山市千石町に生まれ、富山中学校を経て東京美術学校日本画科に進学した。入学後は代議士宅で書生などをしながら苦学して学び、結城素明、寺崎広業、川端玉章らに師事した。同期 ...

院展の北陸巡回を発案するなど富山の近代日本画界に大きな足跡を残した郷倉千靱

2022/10/7  

郷倉千靱(1892-1975)は、富山県射水郡小杉町(現在の小杉町三ケ白銀町)の呉服商の二男として生まれた。富山県立工芸学校漆工科で中島秋圃の指導を受け、同校卒業後は東京美術学校日本画科に進学し、寺崎 ...

官展を離れ戦後は日本美術協会改組に参加した塩崎逸陵

2022/10/5  

高岡市に生まれた塩崎逸陵(1884-1974)は、富山県立工芸学校描金科に入学し、教頭として赴任していた京都の日本画家・畑仙齢に日本画を学んだ。同校卒業後は東京美術学校日本画科に進み、寺崎広業に学び、 ...

中島秋圃宅に寄宿して薫陶を受けた濱谷白雨

2022/10/3  

富山県婦負郡四方町(現在の富山市)に生まれた濱谷白雨(1886-1965)は、富山県立工芸学校で中島秋圃に才能を認められ、秋圃宅に住み込み、工芸学校でも指導を受けた。同校卒業後は東京美術学校日本画科に ...

富山県立工芸学校で日本画の教官を長年つとめた中島秋圃

2022/9/30  

美術工芸の町として発展した高岡では、高田蕙圃や佐伯春芳をはじめとする高岡の初期絵師たちが、銅器、漆器の下図や染織の図案を描き、また、のちに続く工芸家たちにその技術を教え、明治から大正にかけて発展してい ...

中川菱香、佐伯春芳ら高岡初期画壇の絵師

2022/9/28  

高岡で堀川敬周と同時代に活動した絵師に中川菱香(1812-1869)がいる。菱香は、尾張藩士の子として生まれ、8歳で両親を失い京都の叔父に引き取られた。京都で四条派を学び、15歳で叔父の家を辞して諸国 ...

高岡最初の町絵師・堀川敬周

2022/9/26  

高岡の町は江戸後期になって銅器、漆器、染物など美術工芸品の販路が広く確保され、商工業が盛んになった。特に、文政・天保期以降、問屋制の確立に伴い格段の発展を遂げ、それらの製品の図案作成の必要性も生まれて ...

戦前を中心に京都画壇で活躍した冬木清

2022/9/22  

冬木清(1903-1984)は、富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)に生まれた。富山県立工芸学校に入学したが、授業が意に沿わず2学年途中で中退し、17歳の時に京都に出て石崎光瑤に師事した。光瑤の推薦によ ...

光瑤門下の異色画人・本郷越嶺と新湊の画人

2022/9/20  

本郷越嶺(1900-1970)は、富山県射水郡新湊町(現在の射水市)に生まれ、富山県立工芸学校図案科に入学した。同級生には漆芸家の山崎覚太郎がいた。在校中は開校以来の画才の持ち主だといわれ、同校卒業後 ...

竹村白鳳ら石崎光瑤に師事した富山の日本画家

2022/9/16  

石崎光瑤は、京都画壇で活躍する一方、京都市立絵画専門学校で20年以上教鞭をとり、40代後半からは私塾を開いて後進の育成に励んだ。 光瑤塾の塾頭をつとめた竹村白鳳(1895-1951)は、高岡市出身で、 ...

写実に江戸琳派の装飾性を加味し絢爛とした画風を展開した石崎光瑤

2022/9/14  

石崎光瑤(1884-1947)は、富山県福光町(現在の南砺市)に生まれた。生家は藩政期から続く名家で、蔵宿業などの事業を手広く営んでいた。父親は漢籍をよくし、雅楽や俳諧なども嗜む教養人で、幼いころから ...

書家、篆刻家としても高く評価された谷聴泉

2022/9/12  

谷聴泉(1898-1939)は、富山県東砺波郡城端町(現在の南砺市)に生まれ、14歳の時に東京に出て石井林響に画を、中村不折に書を学んだ。書は、若いころから金沢の常福寺住職の北方心泉の書風に心酔して研 ...

河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加した富山の俳人・筏井竹の門と野村満花城

2022/9/9  

明治30年6月中旬、俳人・正岡子規の高弟・河東碧梧桐(1873-1937)が初めて北陸を訪れ、富山県高岡の西光寺をたずねた。このとき碧梧桐は24歳だったが、その後子規の死去を経て、33歳から「三千里」 ...