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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

大津栄泉寺書院に画室を持った長谷川玉純

2023/9/1  

長谷川玉純(1863-1920)は、四条派の画人・長谷川玉峰の長男として京都に生まれた。弟も画家で、雅号を「玉粋」といった。兄弟の雅号は「純粋」の語を1字ずつとり、父の雅号「玉峰」の1字に合わせたもの ...

大阪画壇を代表する画家として活躍した深田直城

2025/3/26  

深田直城(1861-1947)は、近江国膳所(現在の大津市)城下に生まれ、京都に出て四条派の森川曽文に師事した。曽文門下では三宅呉暁と双璧とされたという。明治15年に開催された第1回内国絵画共進会で褒 ...

写生を基調とした近代的風景画を追究した野村文挙

2023/8/28  

野村文挙(1854-1911)は、近江商人の子として京都に生まれた。14歳の時に浮世絵師・梅川東挙の門に入ったが、2年後に師の東挙が没したため四条派の塩川文麟に師事し、2人の師から1字ずつもらい「文挙 ...

終生彦根で活動した四条派の大橋文岱

2023/8/25  

大橋文岱(1846-1937)は、はじめ彦根の狩野素雪について学び、のちに京都に出て四条派の内海元紀、塩川文麟に学んだ。文麟のもとでは仕事にも恵まれ、御所の仕事もつとめていたが、34歳で独立して彦根に ...

岸派に学び郷里長浜の地域発展にも貢献した中川耕斎

2023/8/23  

中川耕斎(1838-1922)は、近江国坂田郡乾村(現在の滋賀県長浜市山階町)に生まれた。幼いころから画を好み、隣村川崎村の僧・淡崖に画の手ほどきを受け、梅塘と号した。20歳頃から彦根の絵師・吉田雪斎 ...

近代京都画壇の黎明期に活躍した岸派四代・岸竹堂

2023/8/21  

岸竹堂(1826-1897)は、彦根藩士の家に生まれ、11歳から地元の狩野派・中島安泰(不明-不明)に画を学んだ。その後、師の安泰から京都でよい師を求めるよう勧められ、17歳の時に京都に出て当時朝廷の ...

松村景文門下随一の技量とうたわれた長谷川玉峰

2023/8/18  

長谷川玉峰(1822-1879)は、画家の長谷川玄門の子として京都に生まれ、四条派の松村景文に師事した。師の景文は、四条派の祖である松村呉春の弟で、玉峰は景文にとって晩年の弟子にあたる。同門には横山清 ...

郷里で自由な作画を続けた湖東の円山派・林東溪

2023/8/16  

林東溪(1807-1887)は、近江国蒲生郡中野村(現在の東近江市)に生まれた。幼いころから学問を好み、特に画を描くことを好んだという。成長するにしたがって、画を学ぶとともに易経・天文学もあわせて修め ...

井伊直弼の墓守に生涯をささげた彦根藩士・遠城謙道

2023/8/14  

遠城謙道(1823-1901)は、彦根藩士の鉄砲足軽の子として生まれた。謙道が藩の足軽をつとめていた38歳の時、幕府の大老もつとめていた彦根藩主・井伊直弼が桜田門外で暗殺されるという大事件が起きた。幕 ...

山本梅逸晩年の有力な門人・青根九江

2023/8/11  

青根九江(1804-1854)は、彦根城下の下魚屋町(現在の彦根市城町)で藩主御用の茶屋を営む富商の子として生まれた。分家して山城屋と称して本家の向かいに住んでいたという。いつ頃京都に出たのかは定かで ...

彦根藩の終焉まで御用をつとめた佐竹永海

2023/8/9  

代々彦根藩主をつとめた井伊家に仕えた絵師については、その全貌はよくわかっていない。江戸の中橋狩野家をはじめ、狩野派の系統の絵師が召し抱えられていたとみられるが、新興の流派の絵師も採用されている。なかで ...

三井寺の円満院につかえ洒脱な画を残した広瀬柏園

2023/8/7  

広瀬柏園(1801-1871)は、彦根城下に生まれた。彦根藩士の子とされていたが、四十九町(現在の城町)に住んでいた町人代官の広瀬治良右衛門順固の子という説が有力となってきている。父は岸駒に師事した画 ...

幕末における円山派を代表する絵師・中島来章

2023/8/4  

中島来章(1796-1871)は、大津または信楽に生まれたと伝わっているが、出生地は定かではない。幼いころから画を好み、9歳の時に画を学ぶため京都に出たという。京都では円山応挙門下の十哲に数えられる渡 ...

幕末の京都画壇で名を馳せた京狩野家9代・狩野永岳

2023/8/2  

桃山時代から続く京狩野家は、初代山楽、2代山雪、3代永納と活躍したが、次第にその活動は低迷していった。一方で江戸に下った狩野派は、江戸幕府の御用をつとめ、江戸狩野として江戸時代を通じて大きな力を持ち続 ...

三熊派の伝統を守って桜の花を描き続けた織田瑟々

2023/7/31  

織田瑟々(1779-1832)は、近江国神崎郡御園村川合寺(現在の東近江市川合寺)に、津田貞秀の長女として生まれた。津田家の先祖は織田信長の九男信貞にはじまり、豊臣秀吉の時に神崎郡内の御園荘に領地をも ...

名古屋にいち早く写実的な描写を伝えた張月樵

2023/7/28  

張月樵(1765or1772-1832)は、彦根城下の表具師・総兵衛の子として生まれた。幼いころから画を好み、同郷の市川君圭に学び、その後京都に出て与謝蕪村門下の松村月渓に師事し、師の号から一字とって ...