画人伝・京都 円山四条派 花鳥画

明治初期の京都画壇で重要な地位を確立した前川文嶺

前川文嶺「躑躅香魚図」京都府画学校校員画帖より

前川文嶺「躑躅香魚図」京都府画学校校員画帖より

前川文嶺(1837-1917)は、松村景文門下の前川五嶺の子として京都に生まれた。幼いころから父に画法を学び、写実的で情趣豊かな四条派の伝統を受け継ぎ、特に花鳥画や風景画を得意とした。

激動の明治維新期にあっても京都画壇の伝統を守り、さらに発展させるために尽力した。美術団体である「如雲社」や「京都美術協会」の結成に参加し、京都府画学校が開校した際には出仕し、後進の育成につとめた。

また、国内外の博覧会や共進会へ精力的に出品を重ね、審査員もつとめるなど、明治初期の京都画壇で重要な地位を確立した。子の前川孝嶺も画家となり、画系は三代に渡って受け継がれた。

前川文嶺(1837-1917)まえがわ・ぶんれい
天保8年京都生まれ。前川五嶺の子。字は子緝。父に画を学び、如雲社、京都美術協会に参加した。明治13年開校の京都府画学校に出仕し、京都私立日本青年絵画共進会では審査員をつとめた。明治23年第3回内国勧業博覧会で妙技3等受賞し、翌年の京都市工業物産会で3等賞を受賞した。ほかにも内国絵画共進会、日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会、日本南画協会展などに出品した。京都の扇子問屋の老舗「宮脇賣扇庵」の天井に扇面画「竹図」が残っている。大正6年、80歳で死去した。

前川五嶺(1805- 1876)まえかわ・ごれい
文化2年京都生まれ。名は晃、字は子玉、通称は長兵衛。別号に泡斎がある。はじめ四条派の柴田義董に学び、のちに松村景文の門に入った。四条派の伝統である写実的で軽妙な画風を受け継ぎ、人物画、花鳥画を得意とした。門人に子の文嶺をはじめ、森川曽文らがいる。明治9年、72歳で死去した。

京都(160)-画人伝・INDEX

文献:円山応挙から近代京都画壇、日本の花鳥画、描き継ぐ日本美-円山派の伝統と発展、日本画家人名事典




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