
藤原行秀「融通念仏縁起絵巻」(下巻第9段部分)重文 京都・清凉寺蔵
藤原行秀(不明-不明)は、藤原光重の子で、絵師として初めて土佐を称した土佐行広の兄と推定されている。六角寂済らとともに、応永21年の清凉寺本「融通念仏縁起絵巻」の制作に参加しており、当時は現職の絵所預だったことが分かっている。
工房「春日絵所」を主宰していたが、所在地は京都の春日小路で、これは藤原行光の工房があった中御門大路の一本南であることから、同一の工房を指しているとみられる。春日絵所は、六角絵所とともに行光の子孫が主宰し、絵所預を輩出した。
清凉寺本「融通念仏縁起絵巻」にみる行秀の様式は、鎌倉時代の高階隆兼の様式を強く意識しており、人物表現における彫塗の駆使や華麗な彩色の施しなど、古典回帰を鮮明に示している。
藤原行秀(不明-不明)ふじわら・の・ゆきひで
藤原光重の子。姓は藤原、名は修理亮。春日行秀とも称した。清凉寺本「融通念仏縁起絵巻」押紙に「絵所預」とあることから、本絵巻制作段階における現役の絵所預だった。そのため、格の高い下巻第1段(詞書は将軍足利義持)などを担当している。清凉寺本押紙でも「春日」と記し、光弘、光信へと継承される春日絵所の基盤を固めた。醍醐寺蔵「普賢延命像」「八字文殊曼荼羅」などが行秀筆の可能性がある。
京都(38)-画人伝・INDEX
文献:室町時代のやまと絵、日本美術全集9、日本画家人名事典







