歌川広重(1797-1858)utagawa-hiroshige
歌川豊広の門人。定火消同心の子として生まれた。一時は家業を継ぐが、まもなく歌川豊広に入門、広重の画号を許された。また、岡島林斎から狩野派を、大岡雲峰から南画を学び、さらに師は不明だが四条派も学んだ。それまで美人画や役者絵の背景としてしか描かれなかった風景画を、浮世絵における独立した分野として確立させ、葛飾北斎と共に「名所絵」の流行を牽引した。肉筆美人画も制作し、吉原遊女などを題材に、色鮮やかな美人画だけでなく、淡墨や淡彩を用いた美人画も得意とした。
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