月岡雪鼎(1710-1787)tsukioka-settei
月岡派の祖。宝暦ころから天明寛政のころにかけて、上方の浮世絵・風俗画界は京都と大阪の二つの系統がみられるようになる。京都では円山応挙を祖とする円山四条派の系統、大阪では月岡雪鼎を祖とする一派が大きく流派を伝えた。雪鼎は近江から出て大阪心斎橋あたりに住み、肉筆と絵本を通じて大阪美人風俗を描いた。
月岡派の祖。宝暦ころから天明寛政のころにかけて、上方の浮世絵・風俗画界は京都と大阪の二つの系統がみられるようになる。京都では円山応挙を祖とする円山四条派の系統、大阪では月岡雪鼎を祖とする一派が大きく流派を伝えた。雪鼎は近江から出て大阪心斎橋あたりに住み、肉筆と絵本を通じて大阪美人風俗を描いた。