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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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越後に本格的な南画を伝え出雲崎で客死した釧雲泉

2022/3/9  

釧雲泉(1759-1811)は、肥前島原藩士の子として島原(現在の長崎県雲仙市)に生まれ、幼くして長崎に学び、中国語にも通じ、中国古画に学んで山水画を得意とした。やがて故郷を離れて諸国を遊歴し、江戸、 ...

久隅守景の子として生まれ狩野探幽に師事するが吉原通いが過ぎて破門され佐渡に島流しとなった狩野胖幽

2022/3/7  

狩野胖幽(1649-1730)は、本名を久隅彦十郎といい、狩野探幽門下の四天王のひとり・久隅守景の子として江戸に生まれた。父・久隅守景の妻は探幽の姪で、胖幽の他に雪信という娘がおり、2人とも探幽に師事 ...

熊斐の後継者として南蘋派の普及につとめた森蘭斎

2022/3/4  

越後国頸城郡新井村(現在の妙高市)に生まれた森蘭斎(1740-1801)は、若いころから画才に恵まれ、はじめ新潟町の五十嵐浚明に学んだ。その後、浚明の勧めで24歳頃に長崎に遊学、医学を学ぶとともに、沈 ...

江戸中期の越佐画壇を主導した五十嵐浚明

2022/3/2  

五十嵐浚明(1700-1781)は、新潟町(現在の新潟市)の商家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、20代後半までは家業を手伝いながら暇をみつけては画を描いていたが、30歳の時に本格的に画を学ぶため ...

創作版画運動の普及と信州の版画家

2022/2/24  

山本鼎らが提唱した「自画・自刻・自摺」の創作版画運動は、大正に入って広く普及するようになる。その動きを受けて織田一磨が山本鼎に働きかけ、大正7年に「日本創作版画協会」が結成され、寺崎武男、戸張孤雁、永 ...

創作版画の草創期に生き21歳で没した香山小鳥

2022/2/21  

長野県下伊那郡松尾村(現在の飯田市松尾)に生まれた香山小鳥(1892-1913)は、飯田中学校(現在の飯田小学校)卒業後に上京、家族も後に上京し、そろって深川に住んだ。 明治45年4月、20歳で東京美 ...

彫刻家として渡仏し画家としてパリ画壇で脚光をあびた中村直人

2022/2/17  

中村直人(1905-1981)は、長野県小県郡神川村(現在の上田市)に養蚕農家の三男として生まれた。大正12年、地元の神川小学校に入学。この小学校は、山本鼎が最初の児童自由画展と農民美術講習会を開催し ...

新感覚派と注目されたが37歳で戦死した島崎鶏二

2022/2/14  

島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤島武二の指導を受 ...

タケ・サトーとして英国画壇で名を馳せた佐藤武造

2022/2/9  

長野県下高井郡瑞穂村(現在の飯山市)に生まれた佐藤武造(1891-1972)は、中学時代に丸山晩霞らが講師をしていた水彩画夏期講習会に参加して認められ、中学卒業後に画家を志して上京、石版画工として働き ...

官展を離れ第一美術協会の発展に寄与した神津港人

2022/2/7  

神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西洋画科に入学、黒田清輝、藤島 ...

洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝

2022/2/4  

宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカデミー・モデルヌに入 ...

一水会結成に参加した小山敬三と信州の一水会の画家

2024/12/11  

昭和11年、二科会を退会した石井柏亭、有島生馬、安井曾太郎、山下新太郎、藤川勇造の5名に、硲伊之助、小山敬三、木下孝則、木下義謙が加わり、一水会が創立され、のちに安宅乕雄、田崎廣助、中村善策、須山計一 ...

高橋貞一郎ら信州の春陽会の画家

2022/1/31  

春陽会は大正11年、日本美術院洋画部を脱退した小杉未醒(放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎の6名と梅原龍三郎が創立会員、そして創立客員として草土社の岸田劉生、中川一政、木村荘八、 ...

日本に本格的にフォーヴィスムを移入した中川紀元

2024/12/20  

中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋画会研究所、本郷洋画研究所 ...

素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三

2022/1/26  

下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していたが、父の強硬な反対にあい断念 ...

アナキストを描いた肖像画が会場撤去となった林倭衛

2022/1/24  

林倭衛(1895-1945)は、小県郡上田町(現在の上田市)に生まれた。幼少期に家の没落と一家離散を経験。15歳で両親の後を追って上京し、印刷会社で働きながら日本水彩画会研究所夜間部に通い、画家として ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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