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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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画壇から離れ西宮で静かな作画活動を行なった新井完

2024/2/14  

新井完(1885-1964)は、兵庫県姫路市に生まれた。父と早く死別したこともあって姫路中学を中退して叔父を頼って上京し、日本中学に転入した。明治38年東京美術学校に入学し、同校卒業の翌年に文展初入選 ...

油彩画「南風」で一躍名を馳せ、その後は日本画、色彩研究、舞台美術など幅広い分野でマルチに活躍した和田三造

2024/12/14  

和田三造(1883-1967)は、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市)に生まれた。15歳の時に家族とともに福岡市に移ったが、翌年画家を志して福岡を出奔して上京、黒田清輝邸の住み込み書生となり、白馬会洋画 ...

各地の風景画に適した場所を訪ね歩いた金山平三

2024/12/11  

金山平三(1883-1964)は、神戸市に生まれ、小学校卒業後に京都、奈良、東京の中学校を転々としたのち、東京美術学校西洋画科に入学し黒田清輝に師事した。同校卒業後は4年間ヨーロッパに留学し、その間自 ...

両画壇で活躍し神戸画壇の形成にも寄与した橋本関雪

2024/12/11  

橋本関雪(1883-1945)は、兵庫県八部郡坂本村(現在の神戸市中央区)に生まれた。父親の関海は旧明石藩の藩者で、関雪も父の薫陶を受けて育ち、早くから漢学の素養を身につけた。さらに早熟な画才をあらわ ...

近代日本画において大和絵に新機軸を示した松岡映丘

2024/12/14  

松岡映丘(1881-1938)は、兵庫県神東郡田原村(現在の神崎郡福崎町)に生まれた。父親の松岡操は医者で漢学者でもあり、4人の兄は民俗学者で知られる柳田国男、医者で国文学者の井上通泰ら、いずれも各界 ...

画壇を離れ六甲の自然の中で画業に専念した福田眉仙

2024/2/2  

福田眉仙(1875-1963)は、兵庫県赤穂郡矢野村(現在の相生市)に生まれた。幼いころから画を好み、はじめ宮田其溪に画の手ほどきを受け、その後京都の久保田米僊に学び、19歳の時に米僊とともに東京に移 ...

白滝幾之助、松井曻ら兵庫県出身の初期洋画家

2024/12/11  

兵庫県の明治以降の美術の動きは、洋画家の前田吉彦からはじまる。前田は、現在の岡山県に生まれ、のちに神戸に出てほとんど独学で洋画を学んだ。神戸師範学校の図画教諭をつとめ、兵庫県内の洋画家の草分けとして活 ...

東京美術学校助教授就任直後30歳で急逝した小坂象堂

2024/1/29  

小坂象堂(1870-1899)は、但馬国出石郡鍛冶屋村(現在の豊岡市出石町)に生まれた。幼いころから画を好み、16歳頃に京都に出て陶器工場で絵付けの仕事をしながら日本画を学んだ。その後京都府画学校に入 ...

但馬城崎温泉に生まれ諸国の景勝地を訪ねた斎藤畸庵

2024/1/26  

但馬国城崎温泉の旅館「伊勢屋」の長男として生まれた斎藤畸庵(1805-1883)は、幼少時に父を亡くし、耳を悪くするなかで早くから詩文に親しみ、15歳の時に京都に出て中林竹洞に南画を学んだ。師の没後は ...

森派を継いで幕末期の大坂画壇で活躍した森一鳳

2024/1/24  

森一鳳(1798-1871)は、播州吉田村の出身と伝えられている。大坂に出て森徹山の門に入り、その画技を認められて24歳の時に娘婿となって森派を継ぎ、家風を守って幕末期の大坂画壇で活躍した。 森派は、 ...

江戸で殺人を犯し逃亡先の長崎で画を学んだ島琴陵

2024/1/22  

島琴陵(1782-1862)の前半生はよく分かっていないが、もと南部藩士で、江戸で人を殺して出奔し、逃亡先の長崎で来舶清人らと交遊して画を学んだと伝わっている。長崎派の写実的な花鳥画を得意とし、その画 ...

抱一の後継者として画房・舫雨華庵を継いだ酒井鶯蒲

2024/12/11  

酒井抱一によって江戸に定着した光琳様式は、洗練の度を加えて江戸琳派に発展した。抱一のもとには作画の注文が殺到し、抱一の住居兼画房の「雨華庵」には、早世した一番弟子の鈴木蠣潭の跡を継いだ鈴木其一をはじめ ...

市川其融ら鈴木其一の流れを汲む画人

2024/1/17  

酒井抱一の実質的な後継者となった鈴木其一は、抱一没後に自ら願い出て酒井家に一代絵師として仕えた。しかし、表向きは酒井家の御用絵師だったが、パトロンを得ることも認められていたようで、酒井家だけでなく蜂須 ...

抱一と交わり俳諧もよくした茶屋の主人・松本交山

2024/1/15  

松本交山(1784-1866)は、江戸深川の富岡八幡境内の二軒茶屋の一軒「松本」の主人だったが、家業を弟に譲り、境内に別宅七草庵を構え、祝髪して亀交山とも称した。画を谷文晁に学び、ついで酒井抱一に師事 ...

鈴木鶏邨、田中抱二ら抱一工房を支えた門人たち

2024/1/12  

酒井抱一の門人としては、最初期の弟子である鈴木蠣潭、江戸琳派様式の拡大に貢献した鈴木其一、其一と並び称される高弟の池田孤邨らが知られているが、ほかにも寡作ながら抱一の画風をよく伝えている鈴木鶏邨、抱一 ...

抱一没後に江戸琳派様式の拡大に貢献した鈴木其一

2024/12/11  

酒井抱一の最初期の弟子である鈴木蠣潭(1792-1817)は、酒井家家臣として抱一の付人をつとめ、抱一の身の回りの世話をしながら画業も手伝っていた。26歳で急逝したため残っている作品は少ないが、優れた ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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