• ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

  • 今月の注目画人
  • 江戸以前の画家
  • 物故日本画家
  • UAG美人画研究室

新着記事

芦屋市美術協会の創立に参加し芦屋市展の発展につとめた伊藤継郎

2024/5/8  

伊藤継郎(1907-1994)は、大阪市に生まれ、16歳の時から松原三五郎が主宰する天彩画塾に学び、同塾閉鎖後は赤松麟作が主宰する赤松洋画塾(のちに赤松洋画研究所と改称)に入った。のちに鍋井克之を知り ...

姫路洋画壇の発展に尽くした尾田龍

2024/5/6  

尾田龍(1906-1992)は、兵庫県姫路市に生まれた。県立姫路中学校卒業後に上京して東京美術学校に学び、在学中から二科展や1930年協会展に入選を果たした。昭和15年からは国画会展に出品し、昭和27 ...

神戸の街並みに魅せられ異人館を描き続けた小松益喜

2024/5/3  

小松益喜(1904-2002)は、高知県土佐郡旭村(現在の高知市)に生まれた。上京して東京美術学校に学び、在学中にプロレタリア美術家同盟に参加した。卒業後は高知に帰り、再度上京を決意して東京に向かう途 ...

プロレタリア美術運動の中心的存在として社会や政治に向き合った岡本唐貴

2024/5/1  

岡本唐貴(1903-1986)は、岡山県浅口郡連島村(現在の倉敷市)に生まれた。大正9年に画家を志して移り住んだ神戸で浅野孟府と出会い、二人で上京して彫刻家の戸田海笛のアトリエに寓居して彫刻と洋画を学 ...

典雅清澄な人物表現が多くの愛好家に支持された小磯良平

2024/12/11  

小磯良平(1903-1988)は、兵庫県神戸市に生まれ、兵庫県立第二神戸中学校(現在の県立兵庫高校)に学んだ。同校には、上級生に古家新、田中忠雄、同級生に竹中郁ら美術好きな仲間がおり、のちに詩人となっ ...

生涯を通じて少女をモチーフとした三谷十糸子

2024/12/14  

三谷十糸子(1904-1992)は、兵庫県加古郡(現在の高砂市)の医師の子として生まれた。兵庫県立第一高等女学校卒業後は女子美術専門学校(現在の女子美術大学)日本画科に学び、同校卒業後は京都に移り、西 ...

二紀会の創立に参加し日本洋画壇の中心的存在として活躍した田村孝之介

2025/8/6  

田村孝之介(1903-1986)は、大阪船場に生まれ、17歳の時に上京して太平洋画会研究所に学び、翌年帰郷して小出楢重に師事した。大正13年、小出らによって信濃橋洋画研究所が創設されると、開所と同時に ...

終戦後の新生日本美術を樹立するため行動美術協会の創立に参加した榎倉省吾

2024/4/22  

榎倉省吾(1901-1977)は、兵庫県加東郡小野町(現在の小野市)に生まれた。苦学しながら絵画を学び、姫路歩兵第39連隊に入隊したのちに美術展に出品をはじめ、昭和3年に第5回槐樹社展、第2回全関西洋 ...

関西水彩画会を創立し水彩画普及につとめた別車博資

2024/4/19  

別車博資(1900-1976)は、兵庫県神戸市に生まれた。県立工業高校で教鞭をとるかたわら、油彩、水彩画を独習し、特に三宅克己が著した水彩画の技術書によって学んだ。また、哲学に深い関心を持ち、西田幾多 ...

兵庫県内各地の風景を描き続けた辻愛造

2024/4/17  

辻愛造(1895-1964)は、大阪市に生まれ、はじめ湯川松院に日本画を学んだが、大正のはじめ頃から赤松麟作について洋画を学んだ。さらに上京して太平洋画会研究所で学び、巽画会洋画部や日本美術院展洋画部 ...

京都洋画壇で活躍し広告画図案も手掛けた池田治三郎

2024/4/15  

池田治三郎(1888-1966)は、兵庫県神戸市に生まれ、京都に出て関西美術院で鹿子木孟郎(参考)に学んだ。的確なデッサンと堅実なリアリズムを習得し、門下のなかでも注目される存在だったという。 大正元 ...

水彩風景画や墨画、モノタイプを応用した版画などで詩情豊かな作品世界を作り上げた中村忠二

2024/4/12  

中村忠二(1898-1975)は、兵庫県飾磨郡御立村(現在の姫路市)に生まれた。小学校卒業後は郵便局に勤務し、大正4年に大阪に出た頃から芸術に憧れるようになり、20歳の時に上京して翌年日本美術学校に入 ...

神戸に洋画研究所を設け後進の指導にあたった林重義

2024/4/11  

林重義は、京都市立絵画専門学校で日本画を学んだのち洋画に転じ、鹿子木孟郎に師事しました。昭和5年パリから帰国し二科展で滞欧作を展示しましたが、同年二科を脱退して独立美術協会の結成に参加しました。終生神戸に住み、洋画研究所を設立して後進の指導にあたりました。

芦屋に転居し44歳で没するまでの5年間で数々の裸婦像の名作を生み出した小出楢重

2024/12/11  

小出楢重(1887-1931)は、大阪市に生まれ、中学生のころから四条派の渡辺祥益に日本画を学んだ。卒業後は上京して東京美術学校西洋画科を受験したが、木炭素描の準備不足のため不合格となり、定員に余裕の ...

パリで藤田嗣治から強い影響を受け制作した上山二郎

2024/4/5  

上山二郎(1895-1945)は、東京神田に生まれ銀座で育った。18、9歳頃から川端画学校に通い、大正9年同校の有志によって結成された「地平社」に銅版画を発表した。その後、日本創作版画協会主催の展覧会 ...

渡仏しアマン・ジャンに学んだ中村義夫

2024/4/3  

中村義夫(1889-1957)は、兵庫県赤穂市に生まれた。父親の勤務の都合で大阪に転居し、松原三五郎に師事して洋画を学んだ。その後、東京美術学校に入学し、黒田清輝、和田英作の指導を受け、在学中葵橋研究 ...

« Prev 1 … 12 13 14 15 16 … 91 Next »




カテゴリー

サイト内検索

関連サイト

湯上がり美術談義
UAG美人画研究室
UAG美術家資料棚

人気記事

  • 下野国栃木の豪商との親交のなかで肉筆画の代表作「雪月花」を描いた喜多川歌麿11喜多川歌麿02
  • 12歳で体験した戊辰戦争を語り伝え、「白虎隊自刃之図」を描いた佐野石峰21佐野石峰02
  • 等伯の跡を継いで一門を率いる存在として将来を嘱望されていたが26歳で早世した長谷川久蔵02長谷川久蔵02
  • 関東に本格的な水墨画をもたらした室町時代の画僧・祥啓01祥啓02
  • 人間とは何かを一貫して問い続けた鶴岡政男31鶴岡政男03
  • 武人画家・宮本武蔵岡山02宮本武蔵
  • 南蘋派の開祖・熊斐と南蘋派の画人10熊斐04
  • 作戦記録画を6点残した田村孝之介149田村孝之介02
  • 画業のかたわら人生相談回答者として活躍した融紅鸞155融紅鸞02
  • 画人としても早逝を惜しまれた武市瑞山と勤王の志士19武市瑞山02

おすすめ記事

1
能登が生んだ桃山時代を代表する画家・長谷川等伯

長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子となった。雪舟系画人の等春に学んだとされる養父・宗 ...

2
奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

3
新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

4
妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

5
室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

  • ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

© 2025 UAG美術家研究所