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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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狩野派最後の近世初期風俗画を描いた狩野甚之丞

2026/1/28  

狩野甚之丞(不明-不明)は、狩野宗秀の子で、狩野永徳の甥にあたる。慶長6年、病の床にあった父の宗秀は、兄永徳の子・光信にあてて遺言状を書き、息子・甚之丞の養育を託した。光信は叔父の末期の願いに応え、家 ...

豊臣家の御用絵師をつとめた狩野内膳

2026/1/26  

狩野内膳(1570-1616)は、戦国武将として名をはせた伊丹城主・荒木村重の家臣の家に生まれた。9歳の時に根来寺蜜厳院に預けられたが、織田信長によって荒木家が滅ぼされたため、のちに環俗し、狩野松栄に ...

狩野派で最も早く徳川家の御用絵師となった狩野長信

2026/1/23  

狩野長信(1577-1654)は、狩野松栄が59歳の時の子で、狩野永徳の末弟にあたる。永徳とは34歳離れており、永徳の子の光信や孝信よりも年少で、2人の没後も長寿を保ち、狩野派の中心画家として活躍した ...

江戸幕府御用絵師の道を拓いた狩野孝信

2026/1/21  

狩野孝信(1571-1618)は、狩野永徳の二男として生まれ、偉大な父とそれに反した道を歩もうとする兄の光信の狭間に立って困惑し、父の豪放な筆致、兄の優美な画風の両方の特色を融合することによって自己の ...

埼玉県・喜多院「職人尽絵屏風」を描いた狩野吉信

2026/1/19  

狩野吉信(1552-1640)は、狩野元信の孫、もしくは元信の弟・之信(雅楽助)の孫とも伝わっており、おそらく狩野家の血族だったと思われる。画を狩野永徳・光信に学び、人物、風俗画を得意とした。狩野孝信 ...

西本願寺障壁画制作に主導的役割を果たした渡辺了慶

2026/1/16  

狩野光信の主な門人としては、狩野興以と渡辺了慶がいる。興以は、のちに江戸狩野を形成する探幽・尚信・安信の3人の師として著名だが、その陰に隠れがちだった了慶も近年の研究で徐々に業績が明らかになってきてお ...

父・永徳とは対照的な優美な作風を示した狩野光信

2026/1/14  

狩野光信(1561or1565-1608)は、狩野永徳の長男として京都に生まれた。生年には異説もあるが、永禄8年(1565)生まれだとすると、12歳の時に父とともに安土城の障壁画制作に携わり、17歳の ...

兄・永徳のもと狩野宗家を守った狩野宗秀

2026/1/12  

狩野宗秀(1551-1601)は、狩野永徳の8歳下の弟で、兄から画法を学んだ。兄・永徳の影響力は絶大だったとみえ、掲載の「花鳥図屏風」など永徳作品によく似た大画作品を残している。永徳の弟には宗秀のほか ...

活気あふれる芳醇な桃山美術を演出した狩野永徳

2026/1/9  

狩野永徳(1543-1590)は、狩野松栄の長男として生まれ、若くして狩野宗家を継承した。幼いころから将来を嘱望され、祖父・元信のもと徹底的な英才教育がなされたと思われ、さまざまな逸話から元信の孫・永 ...

桃山期の狩野派を隆盛に導いた陰の功労者・狩野松栄

2026/1/7  

永禄2年、狩野派発展のために尽力し続けた狩野元信が83歳で没し、その家督は三男の松栄が継いだ。その時点ですでに長男の宗信は没していたが、二男の秀頼は健在で、さらに養子先から狩野家に戻ってきていたと思わ ...

桃山期に流行する近世初期風俗画の先駆者・狩野秀頼

2026/1/5  

狩野秀頼(不明-不明)は、狩野元信の二男で、若くして東寺の仏画制作を家業としていた本郷家に養子に入った。10数年ほど東寺で大絵師職をつとめていたが、突如として本郷家から狩野家に戻っており、狩野宗家を継 ...

父元信に先んじて没した長男の狩野宗信

2025/12/26  

狩野宗信(不明-1545)は、江戸時代の画譜類によると狩野元信の長男で、父よりかなり早く没したとされるが、その伝歴については不明な点が多い。没年に関しては『言継卿記』天文14年(1545)4月14日条 ...

元信様式を摂取した跡がみられる狩野雅楽助

2025/12/24  

狩野雅楽助(1513-1575)は、古くから狩野元信の弟とみなされていたが、近年になって元信の子とする説も提示されており、いまだに確証は得られていない。ただその画風には元信の画法を忠実に学んだところが ...

狩野派繁栄の基礎を確立した狩野元信

2025/12/22  

狩野元信(1476-1559)は、狩野派初代・狩野正信の長男として京都に生まれ、はじめ父に画法を学び、さらに宋元画人のさまざまな筆法を研究し、父譲りの堅固な構成力を基に、元信様式ともいうべき明快で端正 ...

狩野派の始祖・狩野正信

2025/12/19  

狩野派の始祖・狩野正信(1434?-1530?)の出自については、曖昧な点も多いが、伊豆(静岡県)の出身と思われ、その後京都に出たとされる。歴史上初めて登場するのは、寛正4年の相国寺雲頂院の壁画制作だ ...

古典回帰を思わせる濃麗な彩色を身上とした土佐光茂

2025/12/17  

土佐光信の後継者・土佐光茂(1496?-不明)は、戦国期の画壇において独自の画風に到達し、父光信とは異なる古典回帰を思わせる濃麗な彩色を身上とした。光茂の描いた作品は近世以降のやまと絵の図様として多く ...

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