春梅斎北英(不明-1836)は、春好斎北洲の門人で、師の画風を継承し、文政11年頃から没する天保7年までの短い活動期間のなかで多くの作品を残し、柳斎重春とともに文政から天保年間に役者絵の分野で中心絵師として上方浮世絵の中期を支えた。
人物描写のみならず背景にも画量の高さがみられ、摺物様式の役者絵に名品を残した。また、絵入根本挿絵を手掛けたほか、歌舞伎の絵看板や舞台小道具などの制作にも関わったと思われる。北英が没したことは天保8年刊の役者評判記『役者早速庖丁』の評文中や役者絵にも記されており、当時の絶大なる人気ぶりがうかがえる。
春梅斎北英(不明-1836)しゅんばいさい・ほくえい
大坂の人。春好斎北洲の門人。天保4年まで春江、春江斎と称し、それ以後は春梅斎と称した。また雪花楼ともいった。師の画風を継承し、短い活躍期間のなかで多くの作品を残した。上方浮世絵の中期を支える主要絵師のひとりで、門人に春寿、北寿、北雪、北信、北西、北妙らがいる。天保7年死去した。
春婦斎北妙(不明-不明)しゅんぷさい・ほくみょう
大坂の人。春梅斎北英の門人。文政12年頃から天保8年頃の作画が確認されている。師や同時代に活躍した絵師たちに準じた画風で役者絵を描いた。文政13年頃には極小判の見立絵『菅原伝授手習鑑』シリーズを描いている。
大阪(63)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、上方浮世絵の世界、日本の浮世絵美術館巻五