画人伝・京都 土佐派・大和絵系

京都から堺に拠点を移し土佐派を引き継いだ土佐光吉

土佐光吉「源氏物語図屏風」(右隻)メトロポリタン美術館蔵

土佐光吉「源氏物語図屏風」(右隻)メトロポリタン美術館蔵

土佐派は、南北朝時代の藤原行光を祖として始まり、室町時代後期の土佐光信光茂父子はそれぞれ半世紀にもわたり宮廷絵所預の職に就き、やまと絵の本流として重きをなした。しかし、光茂の子・光元が若くして戦死したため、200年近く続いた土佐の家系は断絶することとなった。後継者を亡くした光茂は、累代の粉本や所領などを門人の土佐光吉に託した。

光吉は京都から泉州堺に拠点を移し、家系の跡絶えた土佐派を引き継いだ。光吉が養育を託された光元の遺児たちは京都に留まったようだが、その後の消息は分かっていない。光吉は剃髪し、裕福な堺の町衆の依頼に応えながら、京都からの制作にも対応していたと思われる。

残された作品には源氏絵が多く、大画面源氏絵として最も著名な「源氏物語図屏風」(掲載作品)は、もとは襖だったものを屏風に改装したもので、画面のフレームとなる金雲は種類の違う金を用い、大胆にデザイン化された山路や人物の配置など、大画面にふさわしい構図で、中世土佐派とは異なる、新時代のやまと絵といえる。

土佐光吉(1539-1613)とさ・みつよし
天文8年生まれ。土佐光茂の門人(光茂の二男という説もある)。名は久吉、刑部。通称は源左衛門または源二。永禄12年に光茂の子・光元が戦没し、ほどなく泉州堺に移り家系の跡絶えた土佐派を引き継いだ。のちに剃髪して久翌、久一、休一などと号した。代表作に「源氏物語図帖」「十二ヶ月風俗図帖」「源氏物語図屏風」などがある。慶長18年、75歳で死去した。

京都(72)-画人伝・INDEX

文献:近世やまと絵50選、やまと絵日本絵画の原点、もっと知りたいやまと絵




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