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洋画から転じ水墨画に新境地を拓いた近藤浩一路
2023/9/27
近藤浩一路「鶏冠井青嵐」 近藤浩一路(1884-1962)は、山梨県南巨摩郡睦合村(現在の南部町)に生まれ、3歳の時に病弱な父の療養のため一家で静岡県岩渕村(現在の富士市岩淵)に転居した。幼いころから ...
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岡倉天心、横山大観らの渡米に同行した河内雅渓
2021/7/5
河内雅渓「昇仙峡之図」山梨県立美術館蔵 山梨県北巨摩郡韮崎町(現在の韮崎市)に生まれた河内雅渓(1873-1943)は、明治27年に上京して橋本雅邦に師事し、東京美術学校日本画科に入学した。しかし明治 ...
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雪舟画に傾倒し雪舟様作品を多く描いた鶴田機水
2021/7/5
鶴田機水「蜜画金溪図」山梨県立美術館蔵 明治22年に東京美術学校が開校すると、山梨県下からも同校で学ぶものが出てきた。石和町(現在の笛吹市石和)出身の鶴田機水(1874-1914)は、山梨県尋常中学校 ...
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山梨県内に多くの肉筆画を残した浮世絵師・中澤年章
2021/7/5
中澤年章「見立雪月花之内 五條橋の月」 山梨県巨摩郡布施村(現在の中央市)に生まれた中澤年章(1864-1924)は、22歳の時に上京して浮世絵師・月岡芳年に師事した。どのような経緯で芳年に入門したの ...
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中村蘭林ら旧塩山市の南画家
2021/7/5
中村蘭林「玉堂富貴図」山梨県立美術館蔵 旧塩山市(現在の甲州市塩山)出身の明治期の南画家としては、甲府の竹邨三陽に学んだ村田昆棟、古屋栞雅らがいる。二人は明治15年の第1回内国絵画共進会に出品するとと ...
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明治の三大閨秀画家のひとり・野口小蘋
2021/7/5
野口小蘋「宜男富貴図」山梨県立美術館蔵 漢方医の長女として大坂に生まれた野口小蘋(1847-1917)は、幼いころから書画の才能に恵まれ、8歳で四条派の絵師・石垣東山に手ほどきを受け、19歳の時に南画 ...
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各地を遊歴して画技を磨き名を高めた三枝雲岱
2021/7/5
三枝雲岱「囲碁図」山梨県立美術館蔵 山梨県巨摩郡浅尾新田(現在の北杜市明野)に生まれた三枝雲岱(1811-1901)は、14歳の時に蔵原村の三光山宝原寺の三枝家の養子になり、22歳で住職となった。幼い ...
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米山朴庵と都留市ゆかりの画人
2021/7/5
米山朴庵「威震八荒」 都留市出身の画人としては、旭岳麟、清水豊掌のほかに米山朴庵(1864-1928)がいる。朴庵は、山梨県南都留郡境村(現在の都留市境)に生まれ、滝和亭が下谷村の小池家に身を寄せてい ...
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紀州侯のお抱え絵師になったと伝わる旭岳麟
2021/7/5
旭岳麟「松鶴図屏風」(部分) 山梨県都留市は、古くから郡内地方の中心地として発展し、特に江戸時代前期には谷村藩の城下町として栄えた。幕府の直轄地となってからも葛飾北斎や松尾芭蕉をはじめ多くの文人たちが ...
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山梨の近代南画の先駆者・竹邨三陽
2021/7/5
竹邨三陽「春暉暁艶図」山梨県立美術館蔵 甲府の医師の家に生まれた竹邨三陽(1799-1857)は、青年期に藩校で友野霞舟らから文人としての教養を受け、のちに尾張名古屋へ遊学して山本梅逸、中林竹洞に師事 ...
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近世日本の篆刻界で「印聖」と称された高芙蓉
2021/7/5
高芙蓉「静釣図」山梨県立美術館蔵 日本の篆刻は、明王朝滅亡に際して中国から亡命した黄檗禅僧によってもたらされ、17世紀中期以後に長崎に渡来した独立性易、東皐心越を祖に形成されたとされる。装飾的な技巧を ...
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日本南画の先駆者のひとり・柳沢淇園
2021/7/5
柳沢淇園「睡童子図」 大和郡山藩で柳沢吉里・伊信の二代に任えた柳沢淇園(1703-1758)は、早熟多才で、なかでも画才に恵まれ、8、9歳頃から狩野派を学んでいたが、12、3歳の時には狩野派を骨髄を得 ...
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狩野派の柳沢吉里と南蘋派の柳沢伊信
2021/7/5
柳沢吉里「武田二十四将図」柳沢文庫蔵中央上部に武田信玄、その下に信玄の主要な家臣を描いている。 柳沢吉保は、宝永6(1709)年に将軍綱吉が没すると、家督を子の吉里に譲り、以後は江戸駒込の六義園で隠居 ...
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甲府城主となった幕府の大老格・柳沢吉保
2021/7/5
柳沢吉里筆、柳沢吉保賛「寒山拾得図」公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会蔵 甲斐国は、天正10(1582)年の武田氏滅亡後は、織田・豊臣期を経て、江戸時代には徳川家の領有となり、幕府の直轄あるいは甲 ...