画人伝・石川

京都の画風を石川に持ち込んだ垣内右嶙・雲嶙父子

2023/1/6  

垣内雲嶙「柳江松嶽山水図」 飛騨高山に生まれた垣内右嶙(1825-1891)は、京都に出て四条派の岡本豊彦、塩川文麟に学び、さらに南画の要素を加味して独自の画風を展開した。明治12年に金沢を訪れ、画塾 ...

狩野墨川ら幕末の神田松永町狩野家の絵師

2022/12/23  

狩野墨川「梅図」金沢市龍淵寺蔵 江戸の表絵師の画系である神田松永町狩野家は、始祖の狩野友益が五代藩主・前田綱紀に取り立てられて以来、その長男の伯円をはじめ、幕末に墨川の跡目を継いだ宗益まで、加賀藩と深 ...

岡田静山ら加賀の近世南画家

2022/12/21  

岡田静山「花鳥図」真宗大谷派金沢別院蔵 加賀の近世南画家としては、江戸時代中期に加賀藩の計史・深山台州や医師の津田菜窠らが独自の南画を描き、江戸時代中期から後期にかけては、鶴来出身で今枝家の儒者・金子 ...

藩政の改革につとめた加賀藩士・寺島応養

2022/12/19  

寺島応養「漁楽図」 寺島応養(1777-1837)は、通称を蔵人といい、高岡町奉行、定検地奉行、改作奉行、大坂借財仕法主付など藩の諸役を歴任し、第11代藩主・前田斉広の重用を受けて藩政の改革につとめた ...

大雅風を追究し「能登の大雅堂」と呼ばれた池野観了

2022/12/16  

池野観了「蘭亭曲水図」志賀町恩敬寺蔵 池野観了(1753-1830)は、能登国羽咋郡赤住村(現在の志賀町赤住)の真宗大谷派恩敬寺住職の子として生まれた。幼いころから仏典に親しみ、成人してから伊勢の西弘 ...

江戸時代中期に活躍した武人画家・矢田四如軒

2022/12/14  

矢田四如軒「秘岩摩図」金沢市真行寺蔵 矢田四如軒(1718-1794)は、加賀藩の年寄衆前田土佐守家の家老・矢田唯幻の二男として生まれ、兄が病死したため家督を継ぎ、前田土佐家の家老をつとめた。画につい ...

桜画を専門に描いた三熊派の祖・三熊花顛

2023/3/27  

三熊花顛「八重山桜図」六如慈周賛 江戸時代中期の京都において、桜の絵を専門に描く画家たちがいた。その始祖は、『近世畸人伝』の発案者として知られる三熊花顛(1730-1794)で、花顛は、桜の品種や銘木 ...

岸駒・岸岱に学んだ加賀の岸派

2022/12/9  

森西園「青緑山水図」 文化5年(1808)、金沢城二ノ丸御殿が焼失し、その復興工事が翌年から行なわれた。御殿の障壁画制作のために江戸から狩野友益とその子・墨川が金沢に下り、地元の狩野派からは八代梅田九 ...

京都の狩野派に学び加賀藩に仕えた佐々木泉景

2022/12/7  

佐々木泉景「鹿群図」加賀市実性院蔵 地元金沢の狩野派として、梅田家とともに加賀藩の御用を受けたのが、江戸時代後期から末期にかけて活躍した佐々木泉景(1773-1848)とその一門である。大聖寺(現在の ...

加賀藩に仕えた地元金沢の狩野派・梅田家の絵師

2022/12/5  

梅田九栄(九代)「獅子牡丹図」金沢市極楽寺蔵 加賀藩の御用を受けた絵師としては、幕府の御用絵師・狩野探幽がたびたび三代藩主・前田利常に絵の依頼をされており、その門下である久隅守景も一時期金沢に滞在して ...




© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5