UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「画人伝・東三河」 一覧

南画隆盛から異色の日本画家を生む土壌へ

隆盛を極めた東三河の南画だが、明治中期をひとつのピークに、やがて衰退していく。閉塞した郷土画壇を去り、京都や東京の画壇に活路を見出そうとする次代の画家たちも出てきた。菊池芳文に師事した疋田芳沼、川村曼 ...

南画一色の東三河画壇で異彩を放った狩野派・加藤元白

渡辺崋山以降、南画一色となった東三河地方で、狩野派を学んだ異色の存在として、加藤元白がいる。元白は砥鹿神社南部に位置する八名郡橋尾村に生まれ、京都に出て狩野派に学び、京都画壇で未来を嘱望されながらも、 ...

崋山・椿山の画風を継いだ最後のひと・白井烟嵓

従兄の白井永川から南画の手ほどきを受けた白井烟嵓は、その後上京して崋椿系南画の流れを汲む松林桂月に学び、戦前・戦後を通じて中央画壇で活躍した。平成14年には田原市博物館で「崋山・椿山の画風を継いだ最後 ...

小華が去った後の豊橋画壇

明治15年に小華が上京した後の豊橋画壇は、小華の直弟子である大河戸晩翠、森田緑雲、植田衣洲らが引き継いで盛り立てた。曲尺手町の呉服屋「八星」では南画研鑚の場として「尚雅会」が開催され、植田衣洲、夏目太 ...

東三河における小華門(2)

大河戸晩翠 弘化2年2月12日吉田指笠町生まれ。真宗高田派願成寺の住職・福沢諦聞の四男。名は挺秀、幼名は霊台、字は守節。別号に梅笠、六聰散人、吉祥山人、馴雀園などがある。安政2年、11歳の時に、同派牛 ...

東三河における小華門(1)

明治7年に渡辺小華が豊橋に移り住み、従来の石峰・文笠一門であった画家たちも南画一色となり、小華門は最盛期を迎える。小華門下では、遠江の山下青、豊橋の深井清華、大河戸晩翠、稲田耕山、鈴木梅巌、田原の井 ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)

星野田斉 関東地方の出身で、文久、慶応の頃に吉田に足を止め、本町の金子家に長く滞在した。別号に天福道人ある。鉄筆画を得意とした。 土井平所 御油の問屋役で、通称は竹屋権四郎、別号に蒲碧堂、蘭竹草堂があ ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(1)

後に絶大な勢力となる崋椿系が根付く前の東三河では、円山・四條派を学んだ恩田石峰や原田圭岳、そして谷文晁に学んだ稲田文笠らが中心的な画人だった。ほかには海山宗恪、三宅友信、金子豊水、大河内信古らがいた。 ...

東三河随一の画人・太田山陰

江戸中期に赤坂(現在の豊川市)で活躍した太田山陰は、当時、東海道第一の画人と称されており、東三画人伝には「文化・文政以前における東三河地方随一の画家は山陰であろう」と記されている。平成24年に豊川市桜 ...

近世の東三河画人

江戸前期の東三河画人としては、元禄年間に久世出雲守が吉田藩主だった頃にお抱え絵師として横田養休がいた。抱六町辺(現在の花園町付近)に住んでいたと言われ、喜見寺のや吉田神社の絵馬に遺墨が残っている。江戸 ...

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