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金沢最後の文人墨客と呼ばれた小松砂丘
2023/3/10
小松砂丘「白山山麓風景図」 小松砂丘(1896-1975)は、金沢市に生まれ、13歳で木地挽物師に徒弟奉公し、木地職人として挽物業に従事するかたわら、俳諧に親しみ、さらに、俳画、日本画、焼物、篆刻など ...
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金城画壇の発足
2023/3/6
山科杏亭「朝霧図」石川県立美術館蔵 大正期に入ると、それまで石川県画壇で大きな影響力を持っていた北陸絵画協会の活動がマンネリ化していき、新鮮味が薄れ、画壇はやや停滞気味になっていた。中央では、文展が帝 ...
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生涯白山を愛し、白山の画家と称された玉井敬泉
2023/2/24
玉井敬泉「山の秋」石川県立美術館蔵 玉井敬泉(1889-1960)は、金沢市下堤町に生まれた。生家は紅屋という染物屋で、日本画家の玉井紅嶙は実兄にあたる。敬泉も兄の影響で早くから画に興味を持ち、石川県 ...
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初期日本美術院展に出品した石川県の日本画家
2024/4/11
沢村冬岳「金沢風景雪月花」 明治24年、岡倉天心を会頭に革新的な日本画を目指した美術研究団体「日本青年絵画協会」が結成され、それが明治29年に「日本絵画協会」へと発展し、全国的な規模で絵画共進会を開催 ...
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山田敬中が中心となって設立した北陸絵画協会
2023/2/6
山田敬中「朝霧」山梨県立美術館蔵 明治31年頃、金沢で新しい日本画の団体・北陸絵画協会が結成された。これは、石川県立工業学校の教師として金沢に赴任していた山田敬中が中心となり、地元の画家たちが集結して ...
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山脇皜雲ら金沢工業学校の開校に際して図案絵画科教師として中央から招聘された日本画家
2023/9/28
山脇皜雲「廃寺」東京芸術大学蔵 明治20年、産業振興のための技術者を養成する機関として金沢工業学校が創立された。同校は、明治22年に石川県工業学校、明治34年に石川県立工業学校と改称され、以後、絵画、 ...
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戦後の富山洋画界の指導的役割を果たした東一雄
2022/11/14
東一雄「耕到天」 富山県上新川郡広田村(現在の富山市広田)に生まれた東一雄(1910-2000)は、はじめ富山商業学校に入学したが、同年富山県師範学校に移り安岡信義に学んだ。26歳の時に文部省中学校教 ...
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富山県展創立に尽力した杉山司七、長島勝正
2022/11/11
荒谷直之介「水郷(十二町潟)」 昭和21年、杉山司七、長島勝正、荒谷直之介、小坂勝人、村井辰夫、紺谷英儀らが中心となり、富山県美術文化協会が発足、同年第1回富山県展が開催された。 県展創立に大きな役割 ...
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安岡信義、曽根末次郎ら富山の美術文化振興に主導的な働きを果たした美術教師たち
2022/11/2
曽根末次郎「旧連隊跡」富山大学蔵 明治・大正から昭和前期にかけて、富山県内の旧制中学校などに在任した美術教師は、富山の美術文化振興に主導的な働きを果たした。特に、美術教師の育成を目的とした富山師範学校 ...
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岩崎巴人らと日本表現派を結成した谷口山郷
2022/10/25
谷口山郷「雪崩れる山」 日本表現派は、岩崎巴人、谷口山郷、野村清六(のむら清六)、長崎莫人ら川端画学校出身者と富山県朝日町蛭谷出身の画家たちによって、昭和33年に結成された。岩崎と谷口は川端画学校で知 ...