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外光派の風景画家・山本森之助と早世した人気画家・渡辺与平
2021/7/11
山本森之助「雨後」(絶筆) 明治10年、山本森之助(1877-1928)は長崎市新橋町の料亭一力の長男として生まれた。明治27年に画家を志して大阪の山内愚仙に入門、翌年には上京して浅井忠の明治美術学校 ...
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存命中に遺作展を開催された長崎洋画の先駆者・彭城貞徳
2021/7/11
彭城貞徳「和洋合奏図」 長崎出身の明治初期の洋画家としては、まず彭城貞徳(1858-1939)の名があげられる。彭城は、18歳の時に画家を志して上京、高橋由一が主宰する天絵楼に学び、さらに、初の官立美 ...
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佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち
2021/7/12
高木背水「練馬風景」 大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在 ...
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明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助
2023/9/27
久米桂一郎「残曛下絵」 黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に ...
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百武兼行によってはじまる佐賀洋画
2023/9/27
百武兼行「マンドリンを持つ少女」 佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随 ...
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児島善三郎と福岡の独立美術協会
2023/9/28
児島善三郎「代々木の原」 日本の自然風景を装飾化、様式化することによって「児島様式」と呼ばれる日本的洋画を完成させた児島善三郎(1893-1962)は、昭和5年二科会を脱退し、日本のフォビスムを旗印に ...
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実直な写実を貫いた中村研一と福岡の官展系洋画家
2023/9/28
中村研一「サイゴンの夢」 宗像郡生まれの中村研一(1895-1967)は、東京美術学校で岡田三郎助に師事し、早くからその才能が注目され、卒業の年には帝展に初入選した。美校在学中から留学を希望し、大正1 ...
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島根の水彩画普及に尽力した森本香谷
2021/7/25
森本香谷「浅間山」 明治38年、大下藤次郎、丸山晩霞らが開設した水彩画講習所は、各地で水彩講習会を行ない、全国的に水彩画ブームをひきおこした。明治44年には松江でも大下藤次郎を講師に迎えて水彩画講習会 ...
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近・現代の中央画壇に大きな影響を与えた広島出身の日本画家
2021/7/25
児玉希望「暮春」広島県立美術館蔵 大正・昭和期になると中央画壇で独自の活動をする広島出身の日本画家が出てくる。高田郡生まれの児玉希望(1898-1971)は、写実に基礎をおきつつ、古画や洋画の手法も取 ...
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広島四条派の系譜、明治・大正期に広島画壇を牽引した里見雲嶺
2021/7/25
里見雲嶺 左:足柄山之月山姥之図、右:紀貫之蟻通杜之図 江戸後期の山田雪塘から始まる広島の四条派は、雪塘の門人である山県二承、さらに二承の門人・里見雲嶺(1849-1928)と続き、雲嶺は明治・大正期 ...